絵151 吉村忠夫 春雨 12万円 共箱
掛軸寸法39×209cm
本紙寸法27×121cm

本紙は 絹本。

絵は 吉村忠夫 さん。

この方は 昭和期に活躍しました。

福岡生まれ。

一般には 良く知られていませんが

その画技と 経歴は 見事なものがあります。

明治から 昭和にかけての大家たちと 肩を並べる画家です。

主な 経歴は 下記を ご参照ください。

特に 正倉院御物をはじめ古典工芸の研究を以て知られ、

今上陛下御成婚に際しては絵画と共に工芸品を製作献上した。 ということです。

次に この絵ですが 春雨 見事な春の風情を描いています。

一雨ごとの暖かさ ってところですね。

御簾からのぞく官女 雨に濡れる桜を愛でているのでしょう。

「この雨で 花は散ってしまうのかもしれないわ。」

とうい風情です。

とくに 画面上の雨をご覧ください。

けぶるように 銀で 雨を描いていますが 絶妙です。

これはおそらく 銀ではなくて プラチナかもしれません。

いずれにしましても ひたりたくなるような 情緒です。

是非とも この画家 吉村忠夫 を覚えておいてください。

表具は 裂表具。 極上。

一文字 本金竹屋町
中廻し 雲霞文 本金金襴 
天地   立花文遠州  
軸先 頭切 象牙
箱   桐 

状態 良好です。

強く おススメ申しあげます。

 

吉村忠夫
日本画家。福岡県生。東美校卒。松岡映丘に師事し、大和絵を学ぶ。歴史的人物画に秀でる。帝展審査員。昭和27年(1952)歿、53才。

吉村忠夫
没年月日:1952/02/17
分野:日, 画家 (日)
 元日展運営会依嘱、日本画院同人吉村忠夫は2月17日、脳溢血のため世田谷区の自宅で逝去した。享年53歳。明治31年福岡県に生れ、大正8年東京美術学校日本画科を卒業、大和絵による新民族絵画の提唱者である。松岡映丘に師事した。主として文、帝展に出品、大正11年第4回帝展の「清吟緑觴」、同15年第7回帝展の「多至波奈大女郎」、昭和2年第8回帝展の「望の月夜」は特選となり、昭和3年第9回帝展「木蘭」では無鑑査、第11回帝展「和光薫風」では審査員となり、其後も屡々審査員をつとめた。また一方正倉院御物をはじめ古典工芸の研究を以て知られ、今上陛下御成婚に際しては絵画と共に工芸品を製作献上した。師映丘の没後は国画院を指導し、大和絵発展につとめ、昭和14年には同志と共に日本画院を創設その同人となつた。晩年は舞台美術の方面にも筆をふるい、大和絵風の典雅な装置をみせた。
略年譜
明治31年 福岡県遠賀郡に生る。
大正7年 第12回文展「玉のうてな」出品。
大正8年 東京美術学校日本画科を卒業。 第1回帝展「徳大寺左大臣」出品。
大正9年 第2回帝展「初秋」
大正10年 第3回帝展「野分の朝」出品。
大正11年 第4回帝展「清吟緑觴」(特選)出品。
大正13年 第5回帝展「常寂光」出品。
大正14年 第6回帝展「王母」出品。
大正15年 第7回帝展「多至波奈大女郎」(特選)出品。
昭和2年 第8回帝展「望の月夜」(特選)出品。
昭和3年 第9回帝展「木蘭」出品。
昭和4年 第10回帝展「龍女」出品。
昭和5年 第11回帝展「和光薫風」出品。審査員となる。
昭和6年 第12回帝展「奢春光(有智子内親王)」出品。
昭和7年 第13回帝展「孝養図」(光明皇后)出品。
昭和8年 第14回帝展「浴」出品。
昭和9年 第15回帝展「鵤の聖」出品。
昭和11年 招待展「燈籠大臣」出品。
昭和14年 第3回文展「横川の僧都」出品。
昭和15年 北支、満洲、蒙古等の研究旅行をなす。
昭和26年 歌舞伎座上演舞台装置及び美術考証「菅公」「時宗」「静物語」「源氏物語」担当。
昭和27年 2月17日逝去。
出 典:『日本美術年鑑』昭和28年版(136頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)

 

 

 

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