掛軸と茶道具の卸店、ひなや福寿堂です。

       

絵55 生田花朝 産舞 12万円 共箱
掛軸寸法 49×131cm 本紙寸法 46×42.5cm

本紙は 木の皮を 薄く 漉きこんだ 和紙です。
あどけない少女が 踊っています。
賛は

なにわぶり さすてひくてに 春おもふ

俳句も いいですが 仮名の連綿もさすがです。

作品、表装とも状態、上々です。

表装 貼り風帯
一文字 竹屋町 本金
中廻し つむぎ 
天地 綿支那パー
軸先 頭切 タメ塗
箱 桐 共箱 紙タトウ


生田花朝 いくた-かちょう
1889−1978 大正-昭和時代の日本画家。
明治22年11月22日生まれ。菅楯彦(すが-たてひこ),北野恒富(つねとみ)らに師事,大和絵,風俗人物画などをまなんだ。大正14年帝展に「春日」が初入選,翌年「浪花天神祭」が特選となる。戦後は日展に出品した。昭和33年大阪府芸術賞受賞。昭和53年3月29日死去。88歳。大阪出身。本名はミノリ。

 

ちょっと 寄道。


生田南水 と 花朝の親子。

生田花朝の お父さんは 生田南水 といって 学者でした。
略歴は だいたい

生田南水【いくた なんすい】
美術人名辞典の解説国学者・俳人。大阪生。名は宜人、通称を福太郎、字は子達、別号を夜雨荘・呦々居・百済・鹿鳴草舎、得田南齢門等。漢学を伊藤如石に、国学・和歌を岩崎長世・平尾寛正・渡忠秋に、篆刻を熊谷厳毅に学び、書画に秀でた。昭和9年(1934)歿、75才。

という具合ですが、
なかなかの 趣味人で 俳句も堪能で 絵も上手です。
そういう影響を受けて 生田花朝は 画家に なったんですが どうも 生田南水が 菅楯彦に 娘を 預けたような 形跡もあります。
勿論 生田花朝自身が 絵を 志したことは 間違いありません。

この生田親子も菅楯彦も 共通して いえるのは 俳句の 上手さです。
作意がなく 自然に 作っています。
プラス 教養がある。
いい時代だったのか いい世間だったのか。
、、、

 

このページに直接入られた方は こちらから TOP へ お帰りください。

具、します。  鑑定見積り無料です。  お気軽にどうぞ   

お問合せは、
ひなや福寿堂 TEL.FAX 0798−26−2553 へお願いします。
〒662-0042 兵庫県西宮市分銅町7-6
http://.hinaya.biz
E−mail:info@hinaya.biz