2-25 菊地容斎 竹取の翁 松本 楓湖 極め箱  16万円
掛軸寸法(幅)66,7×(縦)199cm
本紙寸法(幅)51,5×(縦)119cm

本紙は 紙本。 やや幅広。
作は 菊地容斎 。
菊地容斎 は 幕末から明治初期にかけて 活躍した歴史画家です。

この頃から 容斎の様な 歴史画家が 多数輩出しています。
明治維新の開国をまじかにして 国民意識が 高揚したためでしょう。
この流れは 終戦後昭和初期まで 続いて 菅楯彦さんなども
その内の一人といえます。

今一度 日本の歴史を見直す手がかりとして このような絵描きさんの軸を
家庭の床の間に 持ち込んで 子供さん達に 見て貰って欲しいと おもいます。

菊池 容斎(きくち ようさい、1788年11月28日〈天明8年11月1日〉 - 1878年〈明治11年〉6月16日)は、江戸時代後期から、明治時代初頭にかけての絵師。『前賢故実』の作者として知られ、同書を通じ、後進の日本画家や浮世絵師をはじめ明治以降の日本文化の担い手に影響を及ぼした。

 

 

 


← 『前賢故実』中の源義経 
1827年(文政10年)から京や大和に5年ほど滞在し、円山四条派や土佐派、浮世絵を学び、有職故実や古器物の研究を行う[要出典]。この時の成果が、1868年(明治元年)に版行完結した『前賢故実』全10巻[注釈 1]である(以下、『故実』)。
神代から、南北朝時代に至る、571人の公家・貴族・僧・武士・女房らの小伝と、史実や有職故実に則った装束を身にした姿を一丁(見開き2ページ)に描いた。
孝明天皇・明治天皇に『故実』が献上され、1875年(明治8年)に「日本画士」の称号を拝命する


状態 良好です。
強く おススメ申しあげます。


竹取の翁の 嬉しそうな顔!


全体 墨絵一色ですが 迫力ありますね。
本物の 画家という感じがします。
竹林の描きかたが とても良いです。

表具は 裂表具、 極上。
一文字 七宝繋ぎ文 本金襴
中廻し 宝尽くし文 本金襴 
天地 綿支那パー 
軸先 ぞ
箱 桐

容斎の落款。

箱書

松本 楓湖(まつもと ふうこ、天保11年9月14日(1840年10月9日) - 大正12年(1923年)6月22日)は、幕末から大正時代の尊皇家・日本画家。


来歴
松本楓湖の墓(全生庵)
天保11年9月14日(1840年10月9日)、常陸国河内郡寺内村[1](のちの稲敷郡新利根町寺内、現在の茨城県稲敷市寺内)に、松本宗庵の三男として生まれる。名は敬忠。幼名は藤四郎、通称は藤吉郎。父宗庵は漢方医で、漢学の素養もあり近所の子弟に教えていたという。
楓湖は幼いころから絵を好み、一般に人物を描くのに右向きの顔ばかりで左向きの顔は容易に描けないものだが、楓湖は左右どちらも自在に描けたという。最初息子が絵師になるのを反対していた父もこれを見て画人になるのを許し、数え12歳の楓湖を連れ嘉永4年(1851年)秋に江戸に出て、浮世絵師の歌川国貞への弟子入りを頼むが、断られて帰国している。

箱書の 松本 楓湖は 菊地容斎の弟子です。

 

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