f75 青木木米造 千里横行 花瓶 45万円 共箱
    永楽和全 極め箱
胴径19cm 高さ27cm

作は 青木木米 。 千里横行  花瓶 。

千里横行 というのは 蟹のことです。

全体 ドシっとした 感じで 肉厚、 やや 重いです。

正面を 手のひらで 少し押さえ、 口に 蟹を 這わせています。 ここは 見所 !

地釉は やや イラホ釉の 風合いで 正面に 大胆に 海鼠、辰砂の釉を どろっと 流しています。

印 は 正面より やや左下に  の 小判印 があります。

以上 物そのものの 概略です。

できるだけ 現物を ご覧ください。

次に 次第の ご説明です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

箱は 桐で ヤロウ蓋(コッポリ かぶせる形のこと。)。

蓋の 両面に 箱書 が あります。

まず 蓋表の箱書は  自筆で 

千里横行  花瓶
乙酉年十一月冬至日
陶干鴨川雲水亭
九々鱗 木米造 印。

乙酉(きのととり、いつゆう)1825年 文政8年 木米58歳の年。この頃の 木米は 作陶の 佳境にありました。

木米の 共箱というのは 当時の陶工の中では 珍しく 多くの共箱を 残しています。そして 箱書そのものも 作品と同じくらい 楽しんで 創意工夫して 書いています。 当作品の箱書も それで 木米の 特徴が よく 現れています。(この共箱の 贋物というのも ありますが それらは 一見して 品のないものです。)

次に 桐箱の 蓋裏には 永楽和全の 箱書が あるんです。・・・・・・・・・・・・・

聖岡木米翁作 箱書共無相違者也 耳聾 印 和全 謹識。

この和全の箱書は 特に 嬉しいものです。

以上、 簡単ですが 説明です。

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最後に 真贋 という 大事なことですが 

1、箱と 花瓶の 大きさに 問題なし。

2、箱書の内容と 花瓶の内容も あっていて 問題なし。

3、二人の 箱書の状況証拠から これも 疑うべくもなし。

以上の 理由から 当店は 本物と 判断しました。 又 これほど 見やすい作品も ありません。

なにより 花瓶そのものに 雅趣があり 木米そのものの 息吹が あります。

しかし あくまでも お客様の 自己責任で お買い上げ ください。(なぜなら 木米の 公的な 鑑定機関は 無いからです。)

状態 良好です。

おすすめ。

 

 

永樂 和全(えいらく わぜん、1823年文政6年)-1896年明治29年)5月7日)は19世紀に活躍した京焼陶芸家 千家十職の一つ、土風炉師・善五郎の十二代である。江戸後期を代表する陶芸家の一人永樂保全(十一代善五郎の長男で、幼名は仙太郎十二代善五郎襲名したのは1843年であり、1871年に息子の得全善五郎の名を譲って隠居し、以降は善一郎と名乗った。

1852年に義弟・宗三郎(回全)と共に仁清窯跡に御室窯を築窯し、本格的な作陶活動に入った。さらに、44歳で隠居した後も加賀大聖寺藩に招かれて山代で製陶の指導を行なうなど、精力的な活動を続けた。保全の残した負債に苦しむなどもしたが、よく後代に基盤を残した。

 

青木 木米(あおき もくべい、明和4年(1767年) - 天保4年5月15日1833年7月2日))は江戸時代絵師京焼陶工である。京都生まれ。幼名八十八。は佐平。は青来、百六散人、古器観、亭雲楼、九九鱗、木米、聾米。

 

生涯[編集]

木米は明和4年(1767年)京都に生まれた。若くして高芙蓉に書を学び頭角を現す。29歳の時、木村兼葭堂の書庫での朱笠亭が著した『陶説』を読んで感銘を受けて作陶を志し(後に木米は『陶説』を翻刻する)、奥田頴川に入門。30歳を境に京都・粟田口に釜を開き評判を得る。5年後には加賀藩前田家の招聘を受け、絶えていた加賀九谷焼の再生に尽力した。陶工としては煎茶器を主に制作。白磁青磁赤絵染付などその作域は幅広い。中国古陶磁への傾倒から、中国物の写しに独自の世界を開いた。文人画系統に属する絵画にも秀作が多い。天保4年(1833年)死去。享年67。

永樂保全仁阿弥道八とともに京焼幕末三名人とされる。

 

落 款 ・ 印 章




 

 

 

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