掛軸と茶道具の卸店、ひなや福寿堂です。

 

 

この釜の 容量は 肩ばで いれて 水1000CC です。 ちょうど コップ 約五杯分です。

結構 はいりますよ。

 

鐶付は 竹節 です。 ↑  ちょっと 錆び あります。

 

大きさを 比較するための 画像です。

向かって 左が 普通の 朝鮮風炉です。

その 右側が この 小さい 風炉釜です。

 

釜15 浄味造 唐銅撫肩 切合小風炉釜添 共箱
     淡々斎 箱書 十四代大西清右衛門 極め状
釜 口径8.5cm 高さ14cm 胴径15cm
風炉 口径13cm 高さ17.7cm 胴径22cm

 

淡々斎 さんの 箱書 は 箱の 蓋裏に 

浄味造
唐銅撫肩
切合
風炉
釜添
宗室 花押。

という 五行の 箱書 が あります。

ここで はじめて 淡々斎さんが  と 箱書されています。

小さいんですよ。

では この 

浄味造
唐銅撫肩
切合
風炉

というのは 誰が つくったもので しょうか?

淡々斎 宗匠が はっきり 書いています。

浄味造 と 。 

次に 折状の 極めには

唐銅撫肩切合風炉
但切合釜添
一 胴径 六寸参分
一 口廣 四寸弐分半
一 鐶附 蝶耳
但雷紋地紋アリ
右は
宝暦年時代浄味作
無紛者也
甲申 晩秋日
御釜師 大西清右衛門 印。

とあります。

ここの所 宝暦年時代浄味作  ここが 大事です。

宝暦年時代 というのは ホボ 江戸時代の ど真ん中 です。

十五代 大西清右衛門  が はっきりと 時代を 特定して くれています。

では 宝暦年時代浄味作 と言うのは この人です。

 

六代 昌光、与右衛門、剃髪後 浄味を号す。宝暦9年(1759)没。

お茶の世界では これを たんに 浄味造  と表記します。

それは それで いいので

大西さんが 宝暦年時代浄味作 と やっていますから これで 次第は 完璧です。

以上 次第について 簡単ですが ご説明 しました。

これで いいと 思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

では 次ぎに 唐銅撫肩 切合小風炉釜添 について ご説明 申し上げます。

極めて 小さな 切り合せの 風炉釜です。

どの程度 小さいかは この 画像で ご判断ください。

名越浄味浄味 の作ですが

名越 関係なしに 茶釜の 世界では 秀逸な 風炉釜です。

よく こんなもの 作ったものです。

折状 そのものは 風炉についての 極めですが

唐銅撫肩切合風炉
但切合釜添
一 胴径 六寸参分
一 口廣 四寸弐分半
一 
鐶附 蝶耳
雷紋地紋アリ
右は
宝暦年時代浄味作
無紛者也
甲申 晩秋日
御釜師 大西清右衛門 印。

などと 言う所を つぶさに 見ますと これは 茶の湯史上のなかの 傑作で あることが 散見されるのです。

あまりに 長く なりますので 説明は これ位に させて 頂きます。

お問い合わせは いつでも OK です。

私が 在宅なら どんな ことでも お話 させて 頂きます。

ネット での 説明が これ位なのは 申し訳ないのですが ご理解ください。

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釜そのものは 小さな 釜で 

地紋は 山水図 です。

ちょっと 解りにくいで しょうが 山水の絵 です。

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おっと 使い道について ご案内 申し上げます。

小さいですから 

野点、

立礼、

お雛様。

絨毯なんか しいて その上で 小さな お道具を ならべて 、、、

圧巻ですよね。

どんな風にも お使い 頂けます。

ホントニ いいものは 広がりますね。

 

淡々斎
茶道裏千家十四世家元。東京生。裏千家十三世円能斎の長男。
幼名は政之輔、号に碩叟。30才で家元を継承。淡交会を結成、ついで国際茶道文化協会を設立し茶道の海外普及につとめた。
紫綬褒章受章。昭和39年(1964)歿、71才。

 

名越浄味(なごし じょうみ)
京釜師。『釜師由諸書』に「京作紹鴎時代に京都天下一西村道仁、名越善正なり」とある名越善正の子が京都名越江戸名越とに分家した後の京都名越初代 名越三昌が「浄味」と号し、俗に「古浄味」と称される。与右衛門、浄林。慶長19年(1614)越前小掾に任じられ、京都大仏鐘を鋳る。寛永15年(1638)没70余歳。二代 昌高、与右衛門、寛永16年(1639)没。三代 昌乗、与右衛門、浄味と号し、のち昌乗斎と号す。宝永5年(1708)没。四代 三典、与右衛門、初名を昌晴、剃髪後 浄味を号し、俗に「三典浄味」また「足切浄味」という。享保7年(1722)没。五代 与右衛門、享保9年(1724)没。六代 昌光、与右衛門、剃髪後 浄味を号す。宝暦9年(1759)没。七代 昌永、与右衛門。八代 昌興、与右衛門、剃髪後 浄味を号す。九代 昌暉、与右衛門。十代 昌次。十一代 昌文。

 

大西家歴代

(代をクリックしますと作品を表示します)

 

初代 浄 林 (1590〜1663) 当時の草庵風の京作とは異なる書院風の独自の作風を確立
二代 浄 清 (1594〜1682) 比較的浅い砂気のある独特の地肌を打ちつくり、ざんぐりとした釜が多い
三代 浄 玄 (1630〜1684) 釜肌の研究をつみ、文字などを鋳込み枯淡味のある釜を作る
四代 浄 頓 (1645〜1700) 書院風の広間向きのものが多く、模様のある「きれいさび」の浄林・浄清の作風を受け継ぐ
五代 浄 入 (1647〜1716) 形は京作風のものが多く、砂気のある地肌で書院風の「きれいさび」の釜が多い
六代 浄 元 (1689〜1762) 浄元の代より千家出入りの釜師となり、侘び茶風の大西釜の作風を展開
七代 浄 玄 (1720〜1783) 大西家の中興の祖 作風は入念で、よく整った美しい気品のある釜が多い
八代 浄 本 (1747〜1785) 草庵向きの茶気のある釜を作る
九代 浄 元 (1749〜1811) 作風は精作で上品な典雅なものが多く、つまみや座に至るまでよく吟味されている
十代 浄 雪 (1777〜1852) 草庵好み、侘び茶向きの釜の製作に努力を傾ける
十一代 浄 寿 (1808〜1875) 作風は大胆で力強く、かつ典雅な趣深い作品が多い
十二代 浄 典 (1841〜1869) 作品は少ないが、海老鎧付の釜などおとなしい繊細な作風
十三代 浄 長 (1866〜1943) 山本春挙や橋本関雪の下絵を釜に鋳込み新しい京釜の展開を試みる
十四代 浄 中 (1888〜1960) 独自の地肌を作り始め、即中斎宗匠の字や絵を鋳込んだ華やかな釜が多い
十五代 浄 心 (1924〜2002) 東山魁夷下絵の釜などを作る
十六代 清右衛門 (1961〜 ) 平成二年十六代襲名
芦屋釜の秘法を解明

 

 

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