丁度 夕陽が あたって やや 赤く映っています。↑ ↓

 

上の画像は 炉にたいして 釜が どれ位の 大きさか 把握して頂くためのものです。↑

 

この色合いは 正確です。 ↑

 

 

  

k48 風炉・釜 揃へ
・ 遠州好 立瓜釜 元禄定琳造 浄雪(大西10代) 極め 箱
風炉・ 唐銅鬼面風炉 六世浄益作 九世浄益  極め箱

 胴径20cm 高さ21.5cm(蓋を含む)鐶〜鐶22.5cm 口径11.3cm
風炉 胴径37cm 口径25.4cm 高さ21.5cm 鐶〜鐶43.5cm 

 

まず 始めに 立瓜釜 とありますが これは たちうり と 読みます。

これは こんな形 です。

 一番下 ずっと下を みてください。これが まず 最初です。

この たちうり は 釜だけではなくて 香合、水指、など等 色々あります。 今日のは 釜です。

その 定琳造 立瓜釜 + 六世浄益 の 風炉です。 セットです。

では この風炉釜の 説明を 始めます。 まず それぞれに 箱書が あります。 有難いです。

それで その箱書に 準拠して ご説明 申し上げます。 が

例によって ひなやの説明は 初心者向けに 書いていますので 熟練者は スルーしてください。

今日は 非常に 長くなります。 

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では まず 元禄定琳 の釜 に対する 浄雪(大西10代)の箱書は こうあります。


遠州之好
立瓜釜
一 胴径 七寸分
一 口廣 四寸分
一 鐶附 松虫
但し瓜?小匣豆?地紋有之
右の釜元禄歳五郎左衛門入道定琳
作無疑論者也
甲午 季穐日 
きのえうま 天保5年 1834年
御釜師 大西浄雪 印 花押。

遠州の 好みで 立瓜釜 。作は 元禄定琳 五郎左衛門。

元禄定琳 は 大西定林は、小堀遠州好の釜が多く、遠州の所謂「綺麗さび」に合致した端麗で清楚な趣の釜を鋳出しています。 という 私の好きな 釜師です。

鐶付は マツムシ で 釜の地模様は 小匣豆、 匣豆(さやまめ)とあります。 地模様が 薄くて わかりにくいのですが ちゃんと さやまめ の絵が あります。 箱書中 読めない字が あります。申し訳ありません。

釜の内外ともに 状態 良好です。 底にやや 錆びあります。2,3度炊きました。経過良好です。

箱、釜ともに 問題なしです。OK.

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次に 六世浄益作 に対する 九世浄益 の 極め は こうあります。

唐銅鬼面風炉
天明代六世浄益作
明治癸未中夏 
中川九世浄益證之 印。 

やや大振り、高さは やや 低め。

鐶付は 鬼面で大きめ そして 取り付け型。釻は 入れ込み。

足は 三つ、乳足。

前は 香座間の 透かし。 後は 州浜形の透かし。

状態 外側は スレ、アタリあれども 大きな 欠損なし、時代から みれば おおいに 状態 良好です。

状態 内側は 緑青が でていますが 穴は無し。大きな 凹みも無し。時代から みれば おおいに 状態 良好です。

明治癸未(みずのとひつじ、きび)は  明治16年(1883)

箱、風炉ともに 問題なしです、OK。

 

では 簡単に 時代を 整理いたします。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

二人の 生没年を 表にすると 以下のように なります。(大西定林の 生まれ年は 不明です。)

                    大西定林享保十二年(1727)歿ーーーーーーーーーーーーー

     六代:浄益 1833年 ーーーーーーーーーーーー 1766年

大西浄雪

1852ーーーー
甲午1834年(箱書の年)
ーーーーーーーーーー
1777

 

ようするに 釜をつくった 大西定林の没後 ほぼ 7,80年後に 六代:浄益が この風炉を 作ったことに なります。そして 浄雪の箱書は 六世浄益 没年の翌年に なります。

では 六世浄益は 元禄定琳の この釜を見て それに合う風炉を つくったのでしょうか?

それとも 前の 持ち主が 偶然に この 風炉釜を 合わしたのでしょうか?

これは 箱書に なんの記載もないので 解りません。 解りません。

が 私は 合わして 作った と 思います。

そうでもないと ここまでは 調和しないと 思うのです。 でも それは あくまでも 想像です。

いずれにせよ この 遠州好 立瓜釜 に合う 風呂を 今から 探すのは 容易なことでは ありません。

ですから この風炉釜を セットで お売りすることに 致しました

ばら売りは しませんので ご了解ください。

 

以上 簡単ですが ご説明です。 貴重な風炉釜で ございます。 なにより 状態が 良いのが 嬉しいです。

遠州さまに 限らず 他流の方に おかれましても とても 使い良い 風炉釜ですので よろしく ご検討 お願い申しあげます。

 

 

  • 六代:浄益(頼方、1766年 - 1833年
    五代の息子。啐斎の機嫌を損ね、一時表千家出入りを禁じられ、その後は裏千家のみの御用を務める(詳しい理由は不明)。了々斎の代になって許される。歴代中随一の茶人であり、「宗清」の茶名を持っていた。
  • 七代:浄益(頼実、1796年 - 1859年
    「砂張打物の名人」「いがみ浄益」といわれ、天明の大火以後様々な事情でふるわなかった中川家の中興の人物といわれる。妻は飛来一閑三女・九満。
    • 中川吉太郎紹明(1828年1845年4月8日)
      七代の嫡男。17歳で早世。
  • 八代:浄益(幾三郎、1830年 - 1877年
    七代の婿養子。三井家手代・麻田佐左衛門の息子、妻は七代の娘・戸代。幕末明治の転換期に先を見通し、京都博覧会の開催に尽力。また「浄益社」を設立、海外への日本美術の紹介を行うなどするが、様々な事情により失脚。失意の中48歳で没。
  • 九代:浄益(益之助・紹芳、1849年 - 1911年
    八代の息子。茶道衰退期に家督を相続。父方の縁により三井家などから援助を受けるが、家業の建て直しがうまくいかず、逆境の中アルコール使用障害となる。職人としては一流であったが、伝統工芸に理解のない時代だったため世間からは認められなかった。不遇のまま没。

 

大西浄雪 おおにし-じょうせつ

1777−1852 江戸時代後期の釜師。
安永6年生まれ。9代大西浄元の長男。京都大西家10代。古名物の写しにたくみで,9代千宗左の好みの甑口(こしきぐち)平釜や鶴首(つるくび)釜などをつくった。鑑定にもひいでた。嘉永(かえい)5年11月18日死去。76歳。名は長喬。通称は三右衛門,清右衛門。編著に「名物釜由緒聞伝控」「釜之図」など。

 

大西定林

大西定林 大西五兵衛

大西定林 井桁釜 東京国立博物館蔵

大西定林(おおにし じょうりん)は、江戸中期の釜師で、江戸大西家の初代です。
大西定林は、大西家二代浄清の次男で、名は延貞、通称は五郎左衛門、定林と号します。
大西定林は、寛永年中(1624〜1644)古田織部に随い父の浄清と共に江戸に下向し、定林は江戸に留まり、江戸大西家を興し、幕府御用釜師となります。
大西定林は、釜肌は細かく綺麗な肌で、美しい地紋が入れてあり、羽落はなくみな毛切で、焼抜がされており、鐶付は殆ど鬼面で、異なったものは少ないといいます。
大西定林は、小堀遠州好の釜が多く、遠州の所謂「綺麗さび」に合致した端麗で清楚な趣の釜を鋳出しています。
大西定林は、また宗徧好の箆被風炉釜、四方釜、山道釜、雲龍釜などや鴻池家伝来の覚々斎文字入りの大角覆輪釜、その他井桁釜、からげ釜など変わった形の釜も作ったといいます。
大西定林は、正徳二年(1712)の増上寺六代将軍文昭院伝(徳川家宣)霊廟前の銅灯籠七基、芝泉岳寺の享保四年(1719)銘梵鐘などがあります。
大西定林は、享保十二年(1727)歿します。

芝増上寺文昭院殿霊廟銅燈臺両基に「土浦城主土屋政直献納 正徳二年壬辰十月十四日 御鋳物師法橋大西定林作」、同一基に 「藤原朝臣綱村献納 正徳二年壬辰十月十四日 冶工法橋橘姓大西定林延貞作」、同両基に「陸奥守藤原朝臣吉村献納 正徳二年壬辰十月十四日 冶工法橋橘姓大西定林延貞作」、同両基に「羽州山形城主堀田氏紀正虎献納 正徳二年壬辰十月十四日 冶工法橋橘姓大西定林延貞作」とあります。
『茶道筌蹄』に「浄清 浄林の弟也、兄弟共に織部公に随て関東へ行く、浄林は江戸に足を止め御釜師となる、浄清は京へ帰り住す」とあります。
『茶家酔古襍』に「定林 上手、享保十二年死す、宗徧好箆被風呂釜、四方釜、カラケ、雲龍」とあります。
元禄十七年宝永元年(1704)武鑑に「御釜師 鑓屋丁 釜屋五郎左衛門」とあります。

 

 

型物香合の一種。
ひだのある瓜を立てたような長めの形のものです。

祥瑞手のものが喜ばれ、美しい藍色の文様があり一区切の中に詩文が書かれているものは特に珍賞されます。

立瓜の形は香合のほか薄茶器・振出しなどにもあります。

 

 

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