古田織部と瀬田の唐橋 擬宝珠の話 
瀬田の唐橋は戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名で、茶人としても知られる古田重然(古田織部)のエピソードにも登場します。

千利休が弟子たちが集まっている席で 「瀬田の唐橋の擬宝珠の中に見事な形のものがふたつあるが、見わけられる人はいないものか」 と訊ねたところ、一座にいた織部は急に席を立ってどこかに行って、夕方になって戻ってきた。利休が織部に何をしていたのか訊ねると 「例の擬宝珠を見わけてみようと思いまして早馬で瀬田に参りました。さて、ふたつの擬宝珠は東と西のこれではありませんか」 と答えた。利休をはじめ一座の者は織部の執心の凄まじさに感心した。

 

 


香合14 四代 一入 擬宝珠 香合 50万円
     久田宗全 題字 古筆了任 極め
      旦入 極め箱
胴径7,4cm 高さ5,8cm

それでは 次第に沿って 画像の下に 説明申し上げます。↓

あア! そうそう その前に 状態 良好です。

全体の状態


大きさは 上の画像を 見てください。
計り方によって 僅かの差違が でます。

では 先ず 次第から

これは 内箱の裏表です。
表は 楽焼香合 千左ゟ(より)来(る) この題字を 久田宗全 と極めているのが 古筆了任
この 千左ゟ(より)来(る) というのは 時代からして 五代随流斎 のことと 思われます。
それにしても さすがに 見事な 題字です。

裏には 古筆了任 こひつりょうにん・1875-1933。古筆家鑑定世襲最後の人 の貼紙で
久田宗全筆 香合箱蓋書付 楽焼香合 千宗左ゟ来 右真蹟也 戊辰(昭和3年 1928年) 十月 古筆了任 印。


蓋表 一入作 黒香合 旦入極書付共 花押
側面 外箱 書附 九十二翁 大高清阿老筆 入庵
以上 人物不詳。

外箱の底 旦入極め箱 一入造 擬宝珠香合 十代證 印。
この箱書も 見事です。


いかにも 無造作な 造りで 
釉のあるところ 無い所が 縦横にいりこんで
まるで 子供の 粘土遊びの ようです。
茶の湯の造形と言うのは こういうものに つきますね。

心が 和みます。
一入の 傑作中の傑作です。

結論として 四代 一入  と 久田宗全 と 五代随流斎 の三人は
ほぼ 同じ時代に 在世しています。
そういう意味でも 歴史的に 貴重な 資料ともいえます。

 

楽一入 らく-いちにゅう
1640−1696 江戸時代前期の陶工。
寛永17年生まれ。楽道入(どうにゅう)の子。京都の楽家4代。茶碗の製作に力をそそぎ,朱釉(しゅゆう)を得意とし,小ぶりの妙品に味わいをだしている。元禄(げんろく)9年1月22日死去。57歳。本姓は田中。通称は吉左衛門。


久田宗全
生年:正保4(1647) 没年:宝永4.5.6(1707.6.5)
江戸前期の茶人。久田家3代。父は久田宗利,母は千宗旦の娘クレ。徳誉斎,半床庵と号した。通称雛屋勘兵衛。庵号となる茶席半床庵は四畳中板の席で中柱をたてる形式で,点前座と客座の間に入れられた中板を天の川にみたてて「天の川の席」ともいわれる。宗全は茶道具にも工夫をみせ,ことに置花入として手付きの籠花入をデザインし,宗全籠の名で今日も多用されている。手造りの茶碗も「赤茶碗銘かき餅」をはじめいくつか現存するほか,好みものの道具が多い。その息子が千宗左(5代)の養子(6代,覚々斎)となった。<参考文献>久田宗也『京の茶家』

 

以下参考

年魚市切(詞花和歌集巻第三)
伝二条為氏

年魚市切(あいちぎれ)は、大正14年〈1925〉春、『詞花和歌集』(上下2冊)の上巻1冊を分割した古筆切。これはその巻第三・秋の部の断簡である。愛知県名古屋市で分割の際、古筆了任〈こひつりょうにん・1875-1933。古筆家鑑定世襲最後の人〉が名付けたもの。「愛知」は古語で「アユチ」と読み、『日本書紀』(景行紀)に「年魚市(あゆち)郡」とあるところからの命名。年魚市切は現在では数葉しか確認されておらず、古筆が四散したさまを如実に物語る。書風は、藤原俊成〈ふじわらのとしなり・1114-1204〉の手に似ており、鎌倉初期・13世紀前半の書写本と推定される。また、詠者の名前が仮名表記となっており、現存する中間本・二度本(精撰本)が漢字表記であることを考えると、年魚市切のもとの完本は初度本(最初に撰進された本)、もしくは奏覧(天皇へ奏上)に際しての撰者の手控本などの形態が推定される。