香32 一瓢斎 雲錦蒔絵 平香合 鵬雲斎 箱書 在判 24万円 共箱
胴径8cm 高さ1.6cm

総ふん溜め。

蓋の甲は

地に 流水文。

その上に 紅葉と 花筏、勿論 櫻花。

つや消しの 金蒔絵 と 花は 研ぎ出し。

一瓢斎 の 真骨頂、

内側は 身、蓋とも 梨地。

蓋の裏には 鵬雲斎の花押。

箱の蓋裏には 鵬雲斎の箱書。

地味派手の 極上手。

一瓢斎は これでないと 、、、 。

というわけで 強く おすすめです。



一瓢斎 [一瓢 栄造 いっぴょう えいぞう ]

昭和十七年、代々続く蒔絵師の家に生まれる。
父・六代一瓢斎、清水屋恒民に師事。
茶道具、特に棗を中心に制作。
棗の限られた面に
蒔絵のいろいろな手法を少しでも多く入れられるよう、
また玄人に好まれる蒔絵を心がける。
昭和五十九年、第十二回工芸産業技術コンクール入選。
京蒔絵工芸会会員。


 

ちょっと 寄道。 


蝶といえば 荘氏の夢。
即ち 胡蝶の夢 である。

以下は 大きく 寄り道しましょう。
先ず
三代矢口永寿 染付 蝶香合
胡蝶の夢(こちょうのゆめ)は、
中国の戦国時代の宋国(現在の河南省)に生まれた思想家で、道教の始祖の1人とされる人物の荘子(荘周)による説話である。
荘子の考えが顕著に表れている説話として、またその代表作として一般的にもよく知られている。

その荘氏が どうしたかというと、

夢の中で蝶としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話である。

これが 有名な

君や蝶 我や荘子が 夢心。

という句です。
荘氏が 何を 言いたいのか? といいますと

ここでは夢と現実との対立が提出されており、どちらが真実の姿か、それは問題ではなく、胡蝶であるときは栩栩然として胡蝶になり、荘周であるときは荘周となっている。
そのいずれも真実であり、己であることに変わりはなく、どちらが真の世界であるかを論ずるよりも、いずれをも肯定して受け容れ、それぞれの場で満足して生きればよいのである。
「夢が現実か、現実が夢なのか?
しかし、そんなことはどちらでもよいことだ」  
と荘子は言っているのだ。

まあ 簡単にいえば 

ちいさい違いに こだわるな。
夢も現実も あるがままに 受け入れなさい。


と いうことなんでしょう。
もう一つ、


胡蝶と荘周が形の上においては大きな違いを持ちながら、共に己であることに変わりはない。
万物は絶えざる変化を遂げるが、その実、本質においては何ら変わりのないことを述べているのである。

ところで

蝶は はかない という意味で 法事のものである。

という 考えが ありまして それは それで 間違いではありませんが、 やや 軽いかもしれません。
折角 お茶を しているので ありますからして
ここで 今少し 深いところの お席に したいものですね。



原文です。

原文
昔者荘周夢為胡蝶。栩栩然胡蝶也。
自喩適志与。不知周也。俄然覚、則蘧蘧然周也。
不知、周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。
周与胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。



書き下し文
昔者荘周夢に胡蝶と為る。栩栩然として胡蝶なり。
自ら喩しみて志に適えるかな。周たるを知らざるなり。
俄然として覚むれば、則ち蘧々然として周なり。
知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。
周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。此を之れ物化と謂う。


訳文
以前のこと、わたし荘周は夢の中で胡蝶となった。喜々として胡蝶になりきっていた。
自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。
荘周であることは全く念頭になかった。
はっと目が覚めると、これはしたり、荘周ではないか。
ところで、荘周である私が夢の中で胡蝶となったのか、自分は実は胡蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのか、いずれが本当か私にはわからない。
荘周と胡蝶とには確かに、形の上では区別があるはずだ。
しかし主体としての自分には変わりは無く、これが物の変化というものである。

 

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