香合38 諏訪蘇山 宗完好み 桃 香合 25000円 共箱
蓋の径4,5 身の径4,4cm 高さ3,8cm

おそらく 磁器。

で 宗完さんの 好みです。(箱書にはありませんが。)

蓋が 桃の形になっています。

蘇山の印は 香合の蓋裏にあり。

状態 良好です。

宗完さんのファンの方は 買っておいてください。

状態 良好です。



 

3代 諏訪蘇山
1932 ( 昭和7 )〜 2004 ( 平成16 )
陶芸家米沢蘇峰の次男として生まれ在学中に近藤悠三、清水六兵衛、富本憲吉に師事し陶技を磨く。
昭35(1960)に諏訪家に入り、45年(1970)に3代諏訪蘇山を襲名する。
その間、諏訪脩として作品を制作、また伝統の蘇山青磁の造詣を深め制作作品では京都の展覧会や光風会展、朝日陶芸展で入選・各種受賞を続けており、襲名後も光風会審査員、京都市美術展審査員などを務め、また日展にも入選多数を残した。
平14(2002)に70歳を向かえ古希を期して3女の中村公紀(くき)氏に4代蘇山を譲り引退したが翌々年に死去。また妻であった12代中村宗哲氏も翌年に故人となる。
 


 

 

 

ちょっと 寄道。   

 

十二代 弘入 のお話を 簡単に、、、

楽さんでは 弘入 というのが 一般に 良く耳にします。
そこで 簡単に 弘入の人に ふれて見ましょう。

読みやすいように 箇条書きに します。

安政4年(1857) 3月20日に 生まれる。
     お父さんは 慶入。 41歳のときの子。
     遅い年の 子供ですね。
     お七夜祝いの日に 現在の楽家の上棟式が 行はれました。
明治3年(1870)14歳 千家へ 入門しました。
明治4年(1871)15歳で 12代を 継ぎました。
     早いですね 何か事情が あったんでしょうね。
明治14年(1881)25歳 この頃から 作品を作りだしました。
明治13年(1880)24歳 結婚。
明治20年(1887)長男 惺入 うまれる。
明治23年(1890)34歳 初代長次郎300年忌の記念として 赤茶盌三百を造る。
大正3年(1914)58歳 九代了入の 湖南石山の居を慕い 住まいを造る。
大正8年(1919)63歳 剃髪。弘入を名乗る。石山に隠居する。
昭和7年(1932)9月24日 石山にて没。享年76歳。



時世の句。 土いじり 七十六年の 秋暮るる。



大人しい人 だったそうです。
少年時代は 明治維新前夜で 茶道なんぞは 衰退して 困苦を味わいました。
茶盌の注文なんぞ 無く、 一月の 茶盌の注文が 一箱  という時も あったそうです。
その後 茶道も隆盛となって 明治の終わり頃には 注文に 応じきれないほどでした。
茶道には 熱心でしたが 水屋の苦労を 知りすぎていたので 自分では 茶会は 全く しなかった。



印について 簡単に



大正8年(1919)までは 8楽印。白の右の字が 8の字に なっている印です。
     この字は 石川丈山の字です。大小二つ。


大正8年 より以降は 徳川頼倫(よりみち)侯の字に変わります。
     楽の字の白の 左右の字が 不動明王の炎のように なっています。

長く なりますので 以下省略しますが

この弘入さんが 大体 現代の 楽の歴史の 大まかな節目 になるでしょう。

何もかも 勉強するのも しんどいですので ちょっと 乱暴ですが 弘入以前、 弘入以後 と見ると わりと 理解しやすいかも ?  しれません。

 

幕末に生まれ、 明治 大正 昭和 を 気真面目に 生き抜いて こられました。

苦楽も 茶と ともに、、、

楽弘入 らく-こうにゅう

1857−1932 明治-昭和時代前期の陶工。
安政4年生まれ。楽慶入(けいにゅう)の長男。明治4年京都の楽家12代となる。大正8年滋賀県石山に隠居した。昭和7年9月24日死去。76歳。名は喜長(よしなが)。通称は吉左衛門。別号に雪馬。


 

 

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