ひなや歳時記 只今工事中

 

     松江 不昧公好み 山川

富山県 おわら風の盆 薄氷  綺麗な お菓子ですよ 、、、

 

 

光悦寺

昨日(H23−11−22) 光悦寺へ 行ってきました。
今年は 幾分 鮮やかさに かけますが
撮影してきたので ご覧ください。

 

まちなみ春まつり

この東城では 花見節句 といって 櫻と共に お祝いするそうですよ。
地方の お雛祭りも また 風情があります。
楽しそうですね。

広島県 東城から。   花見節句 
岡山県   東城まちなみ 春爛漫 春まつり (旧暦 ひな人形飾り)
平成25年4月12日(金)〜4月18日(木)
午前10時〜午後4時

            

東城町は花見節句、菖蒲葺、天満書き(乞功奠)など、未だに旧暦で年中行事を行う町で
自然に寄り添う昔ながらの暮らしを当たり前にしています。
広島県観光ホームページ 東城まちなみ春まつり紹介ページ
http://www.kankou.pref.hiroshima.jp/shobara/event/120417harumaturi.html

 

今日は 七草。

良い香りします。

毎日 こんな 粥を 頂きたいですね。

 

御掛鯛舎 ひなやの お正月風景。
ひなや福寿堂の すぐ近くに 有名な 西宮えびす神社が あります。
よく 散歩がてら お参りするのですが
本殿の脇に 御掛鯛舎 という 小さな 小屋があって
ここには 小さな鯛を 二匹 向き合わせて 藁で括って 何組も 吊るしています。
今でも こういうのを 奉納される方が いらっしゃるんですね。
正月 十日戎 までの 楽しみな 風景です。

 

源氏車
古くから貴人に用いられました。
平安時代は貴族の乗り物として牛車が利用されたことは皆さんもご存じですね。
家紋の車はこの牛車が元になっており、家紋として成立したのは鎌倉時代の初めです。正式には源氏車紋と呼称され、古い紋の一つです。車紋にはこれ以外にも、風車、水車をモチーフとしたものもありますが、通常車紋と云えば、源氏車紋を指します。

別に 片輪車 という 言い方もします。


国宝
指定名称:片輪車蒔絵螺鈿手箱
1合
木製漆塗
縦22.4 横30.6 高13.5
平安時代・12世紀
東京国立博物館

ところで もう一つ 妖怪の出てくる 片輪車 がありますが
これは 江戸の中頃の話です。  こわいですよう、、、
 

 

嶋台のはなし
嶋台とはお祝い飾りの台のことで、その台に金・銀の盃を重ねて使っていたことから、金銀盃二つを重ねたものを嶋台と呼ぶようになり、その盃を茶碗に置き換えて作ったことから嶋台茶碗と言われるようになったそうです。
そこで、高台にも中々の工夫があります。


金 五角形 鶴(陽) 
銀 六角形 亀(陰)

と、いうふうになって、、、おります。

淡々斎宗匠 御下賜菓子写 日の出鶴桐香合 
昭和32年11月19日に 淡々斎宗匠が、紫綬褒章を受章された際、宮中に参内し 昭和天皇より お言葉と記念のお菓子を 賜りました。
日の出鶴桐香合は この時に頂戴した お菓子を香合に写したもので、本歌は 岩木秀斎が手懸け 三個のみ 製作されました。
若狭盆(わかさぼん)

唐物漆塗盆の一。四方入隅形端反で低い高台がつく。塗りは内朱・外青漆・底黒。縁と見込の境にわずかな段がある。茶入盆・花入盆・干菓子器などに使われる。『茶道筌蹄』に「若狭盆 此盆元七枚箱に入て、若狭の浜辺に流れ寄る。唐物の盆なり。此盆に似よりたるを何も若狭盆といふ。内朱外青漆、葉入角なり。いにしへ内朱の盆と云は此盆也。」、『千家茶事不白斎聞書』に「若狭盆、ふちせいじ内朱。是は若狭へ唐人著之時持来る。」、『和漢茶誌』に「按、世傳云、若狭盆者、北斎渤海之制。或云、明朝之初、漂流於若州海浜也。其證未詳。又曰、先来者五枚、後来者七枚。未聞其所據、且底裏文字及紋不同。或識徳字、或畫梅様形。是茶入盆最極品者也。」とある。葉入角(よういりかく)とは、四方入隅のこと。

 

有馬筆香合 初代須田菁華造

「型物香合相撲番附」西第二段第二十位に記載されているとても面白い意匠の香合です。
有馬筆香合の名は、
有馬人形筆(色糸が巻かれたもので逆さにすると筒の先から豆人形が飛び出す仕掛けの筆)のことで
蓋甲の小さな人物が有馬土産の筆の筒から出たり入ったりする小さな人形に似ている事に由来しています。
有馬は秀吉や利休など多くの茶人が入湯に訪れたところとして有名でもあり、有馬籠などの道具とも縁があります。

蓋甲の人形が可愛らしく、正面と背面側に笹の絵、左右側面に人物が描かれています。

 

宗旦好 兜巾香合 
兜巾形
兜巾の形(中心の尖った形)をした茶器のこと。香合では宗旦好みの兜巾香合や染付の型物香合がある。又、茶盌の高台で中心が尖ったものを兜巾高台と呼んでいる。

 

玄々斎好 徳風棗 
黒平棗の蓋甲に一粒万倍の文字、
蓋裏に籾が九粒 描かれています。
甲に書かれた「一粒万倍」とは仏教の報恩経より出たもので、稲の異称ということです。又、徳風は論語の中の一句より引用されたとも云われています。

旧暦の 雛祭り と エコ。

「旧の雛祭り やってますよ。」

とのこと
雛祭りは 専売特許のつもりの ひなやが 忘れていました。
今から お客様が いらっしゃるので と 急いで 電話を きられましたが。
そうだったんだ と、、、 
思いだしますと そこ ここで 桃の花が 咲いていました。
旧暦の 雛祭り だったんですね。

その方が
(Tさん) おっしゃていたのは 旧暦は エコ だそうです。
新暦では 桃の花は ありません。
特別に 温くして 作った花です。

四月に 雛祭りをしたら 温室で 桃を 咲かす必要は 無い。
櫻も 咲きかけて
まさに お雛様の 季節ですよね。

いやはや 地震で 取り乱していました。
でも しょうがないです、、、 H23-4-3

 

 

白蔵主(はくぞうす)と 宗旦狐(そうたんぎつね)

宗旦狐(そうたんぎつね)は、京都市上京区の相国寺に伝わる化け狐。「宗旦」の名の通り、千家茶道の基礎を固めた人物・千宗旦に化けてしばしば茶席に現れたといわれる。

伝承 [編集]
あるときに相国寺で千宗旦の茶会が開かれた。宗旦の見事な点前は、出席した茶人たちはもちろんのこと、普段からそれを見慣れている弟子たちですら見とれるほどだった。ところが宗旦がその場を去った後、また宗旦が現れ、遅刻して来たことを詫びた。そのようなことが何度かあり、弟子たちは宗旦に偽者がいると考え始めた。

後日、茶室に宗旦が現れたときを見計らい、弟子たちは宗旦本人が自宅にいることを確かめた上で偽宗旦を問い詰めた。すると偽宗旦は素直に自分が偽者であることを明かし、自分は寺の藪に住む古狐であり、ずっと宗旦の点前に憧れていたので、いつか自分もそのような点前をしてみたかった、もう二度と悪さをしないと詫び、狐の姿となって逃げ去った。弟子たちは宗旦狐の腕前に感心し、狐を追うことはなかった。

時は流れて幕末。宗旦狐は雲水に化けて相国寺で勉強をしていた。他の雲水たちと共に座禅を組み、托鉢に回り、時には寺の財政難を建て直すべく力を尽くした。門前の家で碁を打つこともあった。碁に熱中するあまり、狐の尻尾を出してしまうこともあったが、人々は狐の正体を知りつつも付き合っていた。

ある年の盆。門前の豆腐屋が資金難から倒産寸前に陥っていた。宗旦狐は蓮の葉をたくさん集めて来て、それを売って金に換えて大豆を買うよう勧めた。豆腐屋はそのお陰で店を建て直すことができた。お礼をしようと考えた豆腐屋は、狐の大好物である鼠の天婦羅を作って宗旦狐に贈った。しかし宗旦狐は、それを食べると神通力が失われるといって遠慮した。とはいうものの目は大好物に釘付けで、つい我慢できずにそれを食べてしまった。途端に宗旦狐はもとの狐の姿に戻り、それを見た近所の犬たちが激しく吼え始めた。狐は咄嗟に藪の中に逃げ込んだが、慌てたために井戸に落ち、命を落としてしまった(別説では猟師に鉄砲で撃たれた、または自ら死期を悟って別れの茶会を開いたともいう)。

相国寺は寺のために尽くしてくれた宗旦狐の死を哀れみ、宗旦稲荷として祠を築き、狐を僧堂の守護神とした。現在でも宗旦稲荷は、相国寺境内に祀られている

 

白蔵主(はくぞうす)は、江戸時代の奇談集『絵本百物語』にある化け狐の奇談。

概要 [編集]
『絵本百物語』では、甲斐(現在の山梨県)に伝わる話として以下のように述べられている[1]。

白蔵主とは本来は宝塔寺という寺の僧の名で、彼の甥の猟師・弥作が、狐を捕えて皮を売って生活していた。彼の住処の近くの夢山という山には老いた白狐がいたが、多くの子狐を弥作に捕えられたため、彼を怨んでいた。

そこで狐は伯父・白蔵主に化けて弥作を訪ね、殺生の罪を説いて狐獲りを戒め、代りに金を渡して狐獲りの罠を持ち去った。しかし彼は金を使い果たし、再び金を乞いに伯父の寺を訪ねようとしたので、狐は寺に先回りして本物の白蔵主を食い殺し、自らが再び白蔵主に成りすまし、以来50年以上も住職を務め上げた。

あるときに鹿狩りが行なわれ、白蔵主は人に混じってそれを見物していたところ、狐の正体を見抜いた犬に噛み殺されてしまった。人々は狐の祟りを恐れ、祠を建てて「狐の杜」として祀ったという。以来、狐が法師に化けること、または逆に法師が狐のように振舞うことを「白蔵主」と呼んだという。

妖怪研究家・多田克己によれば、白蔵主の名は「白」は妖狐の一種である白狐の「白」が由来とされ、狐が化けたのが伯父であることも、伯父の「伯」が「人」と「白」の字の合成であることに暗示されている、と述べている[2]。

この『絵本百物語』に述べられている夢山とは、現在の甲府市古府中町にある大泉寺という寺の寺領だった山で、大泉寺には白狐を祀った稲荷神社があるが、大泉寺の住職は『絵本百物語』のように狐が僧に化けた話など聞いたことがないという[3]。

また『絵本百物語』とは別に、寛保時代の雑書『諸国里人談』巻五にも「伯蔵主」(沢蔵司、澤蔵司)と題し、狐が僧に化けた話がある[2]。詳細は澤蔵司を参照。



もう一つ 似たような名前に 孝蔵主
 というのがありますが これは 実在の人物です。

孝蔵主
孝蔵主(こうぞうす、? - 寛永3年(1626年)4月)は、豊臣秀吉の正室高台院付きの筆頭上臈(高級女中)で後に徳川秀忠付き上臈となった安土桃山時代 - 江戸時代初期の武家女性。「孝蔵主」は上臈としての雅名であり、実名は不明。父は蒲生氏家臣であった川副勝重。

北政所(高台院)に仕え始めた正確な年月は詳しい史料が無く不詳であるが、豊臣秀吉が関白になった頃には奥を取り仕切る責任者となっていたと思われる。

 

 

大阪の話

大阪の祭りは、今宮戎神社の「十日戎」で始まり、少名彦神社の「神農祭」で終わる。

十日戎の福笹は 孟宗竹。神農さんの笹は 五葉笹

みるがい と みるなみ

海松貝(ミル貝)の入荷 始まりました。

海松(みる)は海草で、水松とも書きます。
緑色円柱形の 肉質の幹が 多数に 枝分かれしたもの。
この海松に貝をあしらったものを「海松貝」。 海の松という事で、おめでたい時の茶席にも使われます。
そして もう一つ
海松浪(みるなみ) という言葉がありますが
これは 海松と浪を あしらった 文様のことです。
どちらも おめでたいものですが 大きくとらえれば 春です。

年が改まり 寒くなると 海では、いろんな貝が 出てきます。
すし屋さんや 和食のお店に、海松貝(ミル貝)の入荷 始まりました。 などという 貼紙を見かけることがあります。 正月から 雛の頃までは 貝の好きな方には 旬になりますね。
おいしいですよ。 H22-1-26

 

H21-7-5

近江阪本 旧竹林院 七夕茶会風景。 皆様有難うございました。 H21-7-5

 

H21-5-5


春のお道具展 
2009/3/29〜4/5

2009/1/24  ご案内 雛人形展のおしらせ

西宮 ひなや福寿堂の お雛様大集合!!!
1月24日(土)〜2月28日(土)
いよいよ お雛様の頃になりました。
今年は いつもより 遅れ申しわけありません。
本年は 各作家さんの 充実したお雛様が 勢ぞろい。
いつも乍らの 雅な世界に どうぞお越しを。

ご来店の節は、勝手ながら お電話お願い致します。 
TEL 0798−26−2553 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2009

明けまして おめでとう ございます。
本年の皆々様の ご多幸を 心よりお祈り申しあげます。

上図のお飾りは おひねり といって 奈良県五條市の慣わしにございます。
かち栗、葉つきみかん、小餅、串柿、裏白を 半紙に包み 紅白の水引をかけて 出来上がり。 そして 昆布をひいて三宝にのせ 神様や仏様にお供えします.
こんなことにて 又、一年が始まりました。どうぞ 今年もよろしく お願い申しあげます。
 

H20.12.15

 

 

 

 

 

 

 

メリー クリスマス

H20.12.10

H20.9.23

近江散歩 その2  9月14〜15日 秋へ 、、、


台風の影響で 陽も照らず 初秋の気配を感じながらの 小旅行でした。
今回は、坂本から少し足を伸ばして 堅田(かただ)めぐり。
堅田といえば浮御堂です。

 

堅田から歩いて3分程の所に こういう奇妙な名前の旧家があります。
居染家(いそめけ)天然図画庭園(てんねんずえていえん)
、、、
何と、藤村庸軒と北村幽安 合作の庭園!だそうで  そして茶室。
借景は 勿論、琵琶湖です。 ふぅーーーむ。
まあ、静かな町でした。 静かな一日でした。

そうそう 忘れないうちに バス停の名に 勾当内侍駅 ??? 何処かで聞いたことのある? ・・・

パラパラきだしたので 今日は帰ります。 車窓より灰色の淡海を眺めながら。

 

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