ちょっと 寄道。


利休切腹 中村修也 洋泉社

簡単に ご説明 しますと 利休は 天正19年に 切腹したことになっていますが 実は 生きていた ということで それを いろんな 文献と消息で 証明を 試みた 研究書です。

実は 下の手紙は 秀吉が 九州名護屋城から 母の大政所に宛てた手紙で 有名な 消息ですが ここに 「利休の茶をのんで 元気にしている。」 と 書いてあるのです。 この 消息は 以前から 問題にされていたもので 未解決の ままでした。

他にも 色々な 資料もありますが これ以上ご説明して ネタバレ しては 著者に 申し訳ないので ご興味のある向きには 是非 お読み下さい。 まあ 利休が 切腹せずに いたとしても 茶の湯愛好家には どうということも ないんですがねぇ 、、、

 

 

熊野(ゆや)、松風は メシのタネ。 その1

これは お茶の世界の ことでは ありません。
能 謡曲の 世界で 言い古された 言葉です。
では 簡単に ご説明します。 といっても 長くなりますが、
ひなやの説明は 初心者向けに 書いていますので 熟練者は スルーしてください。
温習会 って ご存知ですか?
おさらい 会 といって 発表会です。
謡曲の場合は 皆で 合唱するのが 初歩。 連吟 といいます。
次に ちょっと 上手になると 独吟、
ひとりで うなるんです。
もう少し 上になると 謡曲の 一部 10分くらいを 素謡します。
その次は 能 全曲を みんなで やります。
その時は シテ ツレ など 配役を 決めて やります。

ここまでは  だけ。 ここまでは 簡単です。

ここからは  が 入ってきます。

能 は 皆様 ご存知のとうりです。
あれを 真似事で やるんですが 初めは ちょっと 一場面だけです。

最後は プロが やっているように 全編 やりたくなります。
そうすると どの曲にしようかなあ、、、 と なりますが
たいがい 希望曲は 熊野 松風 なんですよ。
これを 衣装まで 借りて やるとなると 大変なんです。

ざっと 計算しましょう。

能 一曲を 舞うとすると

まず 囃し方 笛方・小鼓方・大鼓方・太鼓方の四役があって これを 雇うわけです。
次に 地謡の人 最低 3,4人。
それと 自分は シテ 主役ですね。
主役だけでは 芝居になりません。
脇役が よくないと いけません、そうすると
大先生が 特別に やってあげましょう となる。
ここまで やるなら 正式の 衣装を お貸し致しましょう。 特に、 となる。
全ての人に ご祝儀がいります。 あたりまえですよね。
ここまで 金が かかっても やりたくなるのが

熊野 松風なんです。

この経費は 今でいえば 最低 数100万円です。

だから 謡曲の師匠にとっては

熊野、松風は メシのタネ。
 という訳です。

 

熊野(ゆや)、松風は メシのタネ。 その2
以下は 私が 30歳手前の頃の 実際にあった 話です。
ですから 約40年程前の お話です。

私の 上得意の お客様、ある製薬会社の 会長さんです。
そう 80歳手前くらい だったでしょうか。

いつものように 納品に いったときです。

「小野君 こんどなぁ 熊野っ やるで。」
「はあ、、、」
「いやあ 師匠から 是非にて 頼まれたんや。」
「いつ何時やからな、」
「はあ、」
「頼むでぇ、、、」
「はい!」

私は 何がなんやら 解らんわけです。
とにかく
集金して ほっとして お宅を 出ようとすると
その家の 執事 みたいな オッサン が 追いかけてきて来ましてね、
「小野さん! 何枚 買うて くれはります?」
「?」
「20枚、 御願いしますは。」
「?」
「能の 切符でんがな。」
「はあぁ、、、。」
「お宅やったら もっと いけまっしゃろ けどなぁ。」

と チンチクリンな 目で ギュッと せまって くるんですよ。
わたしは 大体に この男が すかんのです。

会長の 買ってくれた 道具を 納品するたびに
この男は なんか ひっかかって くるんですよ。
会長に 会って 納めると この 執事のような 男が 金を 持ってくるんです。
それもね
いかがわしい奴に 盗られるように 持ってきて
横目で すかす様に 私を 見るんです。

なんか 鼻筋が ひん曲がって
口の 左半分くらいで 物いうんです。
それでね
発音は ハッキリしなくて 何を 言っても
「ビビンチョ、ビビビビ。」
って 聞こえるんです。
最後は こうです。

「あれは そないにするもんですか? ねぇ?」

こいつは いっつも 私に こういうんですよ。
大嫌いなんです。
顔は 人を 表す、 と 申しますが
大体に 相手を 正面から 見ない。
これは いけません。
しかも
半身になって 物言う。
言った後は すぐに 後向きに 顔を ゆがめて
「ふっ、」
って息を 吐くんです。

それでね 息がって 丸々眼鏡を 掛けやがって
インテリげんちゃ 見たいな 顔 しやがって
まるで 出目金 じゃん、、、 。
そういえば 口も デメキン そっくりや !

 

熊野(ゆや)、松風は メシのタネ。 その3

いよいよ 温習会の当日です。
大体 朝11時くらいから 始まって 夕方5時くらいが トリ です。
夕方 4時くらいに いよいよ 会長の出番。
勿論 熊野 です。

目も鮮やかな 能衣装に 面 をつけて 登場。
なかなかの 調子です。
終わりごろに 若干 面が 下がって 苦しそうでしたが
あの お年で あれだけ できれば と 私も感心しました。

引けてから 楽屋へ 一言 お祝いを と 参りますと、
丁度 会長は 衣装をはずして ホッと されていて
色んな 方と 話されておりました。

その合間を見て お声をかけようと した時です。
「会長さま! 最高で ございました。」
と 周りを みずに 藪から棒に 飛び込んでくるでは ありませんか。
みると あの デメキン です。そして こう 言うんですよ。
「良かったでございます。
もお お隣に お座りの ご婦人などは 感きわまって 泣いていらっしゃいました。」

と 大きな声で いうんですよ。

そこまでいうか? 
もう 私の出番は なくなりましたので
お後は よろしいようでと 帰りました。

ま ことほど 左様なことで
謡の師匠にとっては 良い一日だったんですね。

熊野(ゆや)、松風は メシのタネ。
 

 

 

利休は 隠れキリシタン だった。

納屋判 というのは 利休がつかっていた印鑑 のことです。

現在 この判が どこにあるのかは 解りませんが
使われていたのは 間違いないようです。

向かって 左側の アルフアベットのような 文字が ミステリー なんですよね。

以下は 『丸市菓子舗』さんの HPから お借りしました。
 
 納屋判には右側に「今市」中央に「なや」そして左側に書かれているのはキリシタン文字と言われています。今市とは、かつて利休の住んでいた地名で、今の堺市堺区宿院町の利休屋敷跡のあるあたりです。「なや」とは利休の家業が納屋衆(倉庫業)をしていたことからきています。そして興味深いのは左側の文字、利休は隠れキリシタンであったとも言われているそうです。

 

 玉磨き大黒 泥中庵 二代 真清水蔵六

 「あいや お立会いの 皆の衆。
われは 唐天竺より 参った 福の神にて 候。
古今より 七福神中 功徳第一の 神と 崇められ候ところ
縁あって 倭国に 来たり候。
我 参七 2100年の 昔より 福徳宝珠を
磨きこしものなり。
この 宝珠を 求め 茶を たてたなれば
茶道は 極まり 諸願成就 疑いなきものなり。

よって 一つ 二つの キズなどは 気にせずとも よいのである。
皆の衆 我に 出会いし方々よ これこそ 
一期一会 と 申すもの。
求められよ!
さらば あたえられん、、、、、、、




この大黒はん なんか キリストはん みたいなこと いうなぁ?

玉磨き大黒って いうそうよ   

 

瀧口加全

冷泉家

 

ちょっと 寄道。

値段の表示に ついて

ひなや は すべて 価格を 明示する。  という 方針です。

それで 5年間やってきました。
そして

「正札  現金  掛値なし。」 というのも そうで 
ある意味 ご理解頂けた と 勝手に 思っております。

で それは それとして
高いもの 何10万円 とか 何百万円 とかは

どうするか?

という 山に さしかかって きました。

高金額の ものについて 価格を 明示するか どうかですが
お客様から

「値段は いれないで。」

という ご希望が あります。

ネットで 「いくら で 出ていたよ。」

と 解ったもの 使える訳 ないでしょう!

という ご意見です。
 これは ごもっともな ことです。

それで 今後 お茶席で メインに使うようなもの、 印象深いものは

UPしても 価格は 明示しません。


そういう事に しましたので ご理解ください。 

 

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古典が むずかしい。 2014−5−25

日本語と 
あめりかないず。


昨今は 幼児教育と いうことで 三歳になりますと、
英語を 習わすそうですね。
小さな子を むりやり 英語塾に 連れて行って
ABC を 習わすそうです。

そんなことを この数十年 続けて
お陰で
英語ができて 日本語が できない という 若者が いるそうです。

それが いいか 悪いかは ともかくとして
母国語が なおざりに されている 、
ということは 
間違いありません。

日本だけではなくて 殆ど すべての 母国語が 毀損されている筈です。
これは 
私たちの きずかないうちに 

そういう 大きな 力が 働いているのでしょう。

おおまかには 地球規模で 全体と 個性 の どちらを 優先するべきか?

いうことで しょうね。
これは どちらが 正しい というのではなくて
立場によると 思うのです。

違う立場の 人同士が お互いに 相手を 尊重しあえば いいのですが
それは
どうも 難しいようです。

古典というのは そういう意味では
歴史 文化も 含めて
私たちが 使っている 言葉 そのもので
今 使っている 言葉のなかに 詰まって おるわけですから
古典は 過去のものでは なくて 今 そのもの。

いえるかも しれません。

古典と 現代が どこかで ブッチギリ られると いうことは
ありませんから。


なにか 解らない ことを いって すみません。
ようするに
古典 といったって 私達には 関係ない 昔の事だ。 って 放り投げたら いけないなぁ。

思うんです。

それは 「私には 父母も 先祖も ありません。」
と 
いうような もので しょうからね、、、

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田舎暮し  2014−5−8

昨日 (2014−5−8) 何年か ぶりに 奈良の明日香の里へ いって来ました。
登ったのは あまがしの丘。
900メートルほどの その 丘からは 大和三山を 手に取るように 眺められます。

天の香具山。
耳成山。
畝傍山。


明日香の田園風景が 四方に開けて 

あそこが 飛鳥寺
その向こうは 橘寺、

と 丁度 遠足に 来ていた 子供たちの 話を 聞きながら 薫風のもとで 一緒に勉強してきました。

ところで
この 明日香から 奈良の南へ ぐぐっと 入っていきますと 山奥に 川上村 という 山村が あるのですが
ここが なんと 日本の人口減少率 ナンバー ワン だというのです。
奈良県全体を とってしても 人口減少率は かなり 高い数字になるでしょう。

そういう訳で 奈良県は 人口誘致のため 田舎暮しを お奨めしています。
HP でも それらの 不動産物件の 案内を しています。
今日は 明日香の 村の 鯉幟を 眺めながら
こんな所で あと僅かの人生を 過ごしたいなぁ と 思うんです。

私は 大阪生まれの 大阪育ち。
町の鼠ですが 都会暮しには たいがい 嫌気が さしています。
以前から 田舎暮しを 夢見てきましたが
心の中に溜まった 田舎暮しへの 憧れ は ますます 膨らんできているのです。

いつか ひなや を 田舎へ 持って行って
細々とした 商いを 続けながら 日々を 送りたい。

そう思いながら の 明日香の 一日でした。

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真贋について  

大事なことですので ご説明申しあげます。
これは 当店の方針です。

真贋について

明治〜平成 にかけての商品は 本物であることを 保証します。

江戸時代 以前のものに ついては 真贋は 保証しません。

これだけは 覚えておいてくださいね。

ですから 江戸以前のものは お客様の 自己責任と なります。

では 今日のように 江戸初期のものを なぜ 出品したか といいますと
私が 本物で 良いものだと 判断したからです。

今後も こういう古いものが 出てきますが
そこのところを ご了解の程 お願いします。
うるさいようですが トラブルを 避けるために はっきり 申しあげておきます。

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そういう事ですので

普段 皆様に 買って頂いている 茶道具は 

明治〜平成 にかけての商品は 本物であることを 保証します。

に該当しますから  ご安心ください。

 

ちょっと 寄道。   

 

お正月便り! その2

京都洛北 周山街道を 登っていきますと 高尾 清滝 という名所。
北山杉も 紅葉も 有名ですね。
ここには 三つの 真言宗のお寺があります。
空海が 開いた聖地でも あります。    
栂ノ尾(高山寺)鳥獣戯画で 知られている。
槙の尾(西明寺)
高雄 (神護寺)
和気清麻呂の 墓が ある。
この三つを合わせて 三尾(さんび) というそうです。
元旦に この三つ 回ってきましたが ほぼ三時間程、
しんどかった  ぁ ぁ ぁ 、、、
まあ 一辺いっとけば 納得。


ここで 耳寄り情報。
旅館の お姉ちゃんに 聞きました。
蛍が最高らしい。
清滝川の清流に 蛍が乱舞する そうです。
旅館のおねえちゃん 「まるで 夢のようです。 ホントーニ。」
あの顔は 真剣に ホントー だった。
その節は 床で 食事が できると言う。
たしかに 苔むした小屋が 川原の そこここに 散見された。

「いっぱいに なるやろから 今日予約しとこか?」
おねえちゃん 「ソンナン ダイジョウブです。」
「エエー?」
おねえちゃん  「ハイ ダイジョウブデス。 いつでも いけます。」
「フーーーーン。」

穴場発見!
六月中旬。  一泊 17000円位だろう。  日帰りも 可。  要予約。
旅館もみじ家さんでの 一月二日 夕食中の出来事でした。
正月早々 ついて来たようだ。

 

 

如拙の瓢鮎図

アユ()と 鯰 の字の 違い


京都 花園 妙心寺の退蔵院。
ここの名物は というと 勿論 如拙の瓢鮎図、という室町時代の 禅画です。
禅画中の禅画。  如拙「瓢鮎図」部分 室町時代(15世紀) 退蔵院蔵・京都


是非 ご覧頂きたいのですが この寺には 置いてありません。
まあ しかし それに類するものは 一杯 ありますので 序がありますれば お立ち寄り 頂きたい。
そういう訳で ここは 瓢箪と 鯰だらけです。
まず 有名な 枝垂れ桜の 前にある 門を見上げると 欄間の 鯰。
部屋に 通ると そこには 瓢箪の明かり窓。 と 中々に 楽しいですよ。
ところで
この瓢鮎図、アユ()という字をあてて  という字を 使いません。
どうしてでしょうか?
平成25年 大晦日のことです。

 

つくね という 蓋置。
ボソン とした 何の趣向もない 形です。
てづくね だから つくね、
これって どんな 不器用な 大人でも 造れますよ。
それより 子供でも 造れますよ。

ちくわ のような 形。 技術では なくて。
きっと 造る という 素朴な 楽しみなんでしょうか。
造るまえに 元々から あった 造形。

たとえば 網のしずみ。
そんなのが 楽しくて 色々と もてあそぶ内に
蓋置に なったり ブリブリ に なったり したのでしょう。
それが 懐かしい。 楽しい。 嬉しい。
で 大事に するように なって

その後、
お爺ちゃんが 大事にしていたよ。
お母さんが 楽しそうに 箪笥に しまっていたよ。

と いうようなことが 重なって、
こういうものを 今日に 伝えた。    茶道具 として、、、
と 想像するんですが 。 

長い年月が あったのでしょうね。茶の湯は 今で 400年。何千年の 私たちの 歴史が やっと 茶の湯を 生み出した という ことでしょうか。されど たったの 400歳。師走の空を 眺めて とりとめのない事を 考えています。  23−12−12

 

笹舟 イメージ 1

笹舟 というのは イメージからすると 川面に浮んで 夏のような 感じですが
夏でも 春でも ありません。
笹舟 そのものは 無季です。
蘆の葉を くるっと 巻いて 帆掛け舟 を 作ったでしょう。
川面に浮かべて 流しますね。
スッと 流れるのも あるし、
どこかで 止まって 、、、
あ ぁ ぁ     、 
指で 突き出して 流れの中へ 押し出したのに
又 引っかかって しまった。
うーーーん

でも
もう一つの 笹舟は 気持ちよさそうに
白く 光る 川面を 流れていきました 。

 

 

豊年満作 24-1-5

ドンドン ヒャララ ドン ヒャララ

村の鎮守(ちんじゅ)の神様の    今日は めでたい お祭り日 
ドンドン ヒャララ ドン ヒャララ    朝から聴こえる  笛 太鼓
今年も豊年 満作で          村は総出の 大祭り  
    ドンドン ヒャララ ドン ヒャララ    夜まで賑(にぎ)わう  宮の森
、、、

ドンドン ヒャララ ドン ヒャララ
ドンドン ヒャララ ドン ヒャララ


一日を 終えて
夜の しじまを 小さく 小さく 聞こえてきます。
布団に入って 寝ている 子供達には
矢も楯も たまらない 音です。
今 すぐにでも 走って 行きたい 気持ちです。
でも もう 夜遅くて どうしようも ありません。

明日 起きたら すぐにでも、、、

そう 思いながら やっぱり 子供。
すやすや と 眠りに つきます。 

笛の音が ちょっと 寂しそうに 聞こえます。

唐門を いずれば日本ぞ 茶摘歌 芭蕉。
黄檗山といえば 普茶料理
7000円   5000円   3150円 と 3コースあります。
昼だけで 晩はありません。  結構 いけますよ。
他に おすすめは ここの お勤めです。
朝夕二回されていると 思いますが 素晴らしい 声明です。
読経は 日本語ではなく 明語で 唱えます。
夢のような 声明です。 和音は まさに 芸術です。
夕方の4時くらいです。必見です。  いや必聴です。  ご案内しますよ。
Manpukuji 01.jpg

松喰鶴の図は 今や 最も ポピュラーなものですが この図を 見るたびに 浮んでくるのが この文句です。

松花伴鶴飛  

あまり 出会うことの無い 文句ですが 

松花伴鶴飛 「しょうかつるにともなってとぶ」と読みます。

この意味は、
松の花が鶴の脚に くっついて知らない場所に飛んでいき、それまで縁のなかった土地に松の子孫が芽生える という意味で
花嫁が 知らない土地に嫁ぎ 根を張り 子孫を作り 力強く繁栄していく。
という 目出度くも ロマンな おはなしです。
私には 松喰鶴と この文句が だぶさり 松喰鶴や 花喰い鳥 をみると 花嫁 の話を 思いだして 胸に グッ ときております。

ところで
よく 松に鶴 といいます。 が
鶴は 松には 巣はつくりません。
鶴は足の構造上けっして松の木にはとまることができない、 そうです。
 

 

帆立貝(ほたてがい)式古墳  24-2-27

茅原大墓古墳で発見された国内最古の「盾持ち人埴輪」=平成23年2月、奈良県桜井市(鳥越瑞絵撮影)(写真:産経新聞)

卑弥呼の「末裔の墓」 考古学マニアも知らない奈良の古墳が脚光

 邪馬台国の女王、卑弥呼の墓ともいわれる箸墓(はしはか)古墳近くにある奈良県桜井市の茅原大墓(ちはらおおはか)古墳。考古学マニアの間でもあまり知られていない古墳が、邪馬台国の末路にかかわるカギを握るとして、近年の発掘で脚光を浴びている。一帯は3世紀後半の最古級の前方後円墳が多いが、茅原大墓古墳だけはなぜか4世紀末と飛び抜けて新しい。ヤマト王権は4世紀末に大阪平野に移動したため、王権発祥の地は一気に衰退したが、茅原大墓古墳は「卑弥呼の末裔(まつえい)」として最後の輝きを見せた。(小畑三秋)(産経新聞)
[記事全文]

茅原大墓古墳は、箸墓古墳(全長約280メートル)の東わずか500メートルに位置。全長86メートルで、後円部は72メートルに及ぶが、前方部はわずか14メートルと極端に短く、ホタテ貝のような形から帆立貝(ほたてがい)式古墳と呼ばれる。このアンバランスな形は、大王クラスが葬られた前方後円墳よりランクが下とされる。

ということ だ そうですが
それは そうでしょう。
では 大和朝廷は 誰に 滅ぼされたか?
これは 朝鮮からきた 外来人に 滅ぼされた。
なぜ やっつけられたか?
征服者は 
鉄器を 持っていた。
日本の 土着民は 鉄器は 持っていなかった。
それでは 土着古代人の武器は なんだったか?
もちろん 
石 やじり 竹 ですが もう一つ です。
貝を加工して 刃物にした。 すなわち 武器にした。
とても 鋭利ですから。

今でも 
フェザー剃刀 というのがありますが 帆立貝のマーク。

でも 鉄には 負ける。

しかし この埴輪 なんとも 面白い顔を していますね。


根引きの松 は
この お正月の 風景として お馴染みですから 特に説明は 致しません。松の内、お正月、初釜と お使い頂けますが
もう一つ
若松より もっと 若い 根引きの松は 
稚松 といいます。
この棗の デザインは 
稚松繁栄図 といいます。
すなわち 
松 を 大将の  に置き換えて 繁栄図  又は 智将繁栄図 として 端午の お目出度にも つかいます。
日本人というのは 実に おくゆかしいものですね。

本年も 皆様の 御家門 ますます 稚将繁栄されますよう お祈り申しあげます。 23-1-8

 

色紙と色紙掛 24-2-16

普通に 色紙掛は 書道品屋さんや 額縁屋さんへ いけば 売っています。
4,5000円から 2,3万円でありますが ほとんど 機械表具で 裂は化繊です。
そういうものに 色紙をかけて お茶会でも 使われているのですが
とても 見にくいものです。
とりわけ
市販の色紙掛は 寸法が 見苦しいですね。
長すぎたり、短すぎたり。
床の間に いくものですから 多少は 張りこんで頂きたい。
仮に
色紙を 掛物に 仕立てますと 最低2,3万円します。
ただ その程度の表具ですと 茶会には とても 出せない代物です。

そういう訳ですので
上品な色紙掛に 出会われたら 是非 将来のために 準備しておいてください。
何点か 持っていると
色紙との 組み合わせが 楽しいものです。
ご自分で 取り合わせることも できます。
そういう事の中で 亭主の個性とか 好みを 自然と お客様にも ご理解いただける。 
ということも 生まれてくる と 思うのです。

 

楯彦の お雛さん。  24-2-15

「楯彦はん お雛さん 御願いします、、、 」
と 表具屋が 御用聞きのように やってきます。
表具屋は まあいえば 画商のようなものです。
楯彦は
「ふうーん。」
と 何故か 浮かぬ顔。
「先生、たのんます。」
、、、
、、、

「お雛さんは 私より 花朝のほうが 上手いですわ。 すんまへんけど、その話 花朝に 頼んでやって くれまへんかいなぁ。」
弟子思いの 楯彦ならではの お話です。

 

虚無僧の話
尺八の 有名な曲ですが
れいぼ 【鈴慕】
尺八の古典本曲の曲名。中国、唐の高僧普化(ふけ)禅師が振りながら昇天した鐸(たく)(大きな鈴)の音を慕って作られた曲という。普化宗の各寺・各派に独自のものが伝えられた。恋慕(れんぼ)。


普化(ふけ)禅師は 虚無僧の 本家になります。
虚無僧は 首に 明暗 と書いた 頭陀袋を さげていますが これも 普化(ふけ)禅師の 行状から 由来したものです。
いろいろ 楽しい話がありますので 是非こちらから。
 

普化和尚

普化和尚の話 鎮州(ちんしゅう)の普化(ふけ。生没年不明)和尚は、盤山宝積(ばん
ざん・ほうしゃく)禅師の法嗣であり、馬祖道一禅師の孫弟子にあたる。

 

 という色。

朱は 厄除けの色。
朱は 魔よけ。
だから 鳥居は 朱塗だ。
まっかっか だから 太陽だ。
太陽に 生かされているから 人間の血は 赤いんだ。
だから エネルギーの 根源だ。
太陽の化身は アマテラスさんだ。
真っ黒け になった この世 では どうも 住にくうて いかんぜよ どうにかしろや。
というて
アマノウズメ が おもろい ダンスを やると 八百万の 神々が ケタケタ と笑った。
これを 聞いた アマテラス が なんごとやにゃあ。 と 顔を 見せた所、
タジカラヲ が 抱きついて 洞穴から 引きずり出して
やっと この世は 明るくなった。

朱は 赤です。
明るい は 赤るい。 朱るい。 ものごとの 始まり。

いや いや、、、、
 

 

八坂焼(やさかやき)
17世紀前半、京都東山八坂の陶工清兵衛が製した陶器。鳳林承章の『隔蓂記』寛永十七年(1640)に「四月六日 ・・・茶入作之清兵衛初同道茶入共 香炉香合掛車而作也」、「五月七日 下京之清兵衛(八坂陶工)今日初来・・・清兵衛為持参焼物香合壱ケ恵之、香合之上ニ寿字以朱書之香合也」、正保三年(1646)に「八坂焼梅之紋有之鉢」ほか、八坂の双林寺の近くにあったことが記されており、轆轤を使って茶入・香炉・香合・鉢などを焼き、交趾風な色絵付のものも造っていたとされる。

とありますが

ひなやが 紹介している 茶盌は 昭和前後の 新しいものです。
勿論 前記の 流れを 組んだものですが 
そんな 大層な ものでは ありません。

それじゃ どんなものだ、、、

京都四条の祇園さん の 境内で 売られていた 土産物です。
清水の 陶工の 手慰みに ? もしくは 内職で 造ったんでしょう。
土人形も 一緒に 売っていました。

土産物で いくばくかの 商いになれば それなりに 誰かが 助かります。
ですから
茶道具 とうよりも 民芸品 といったほうが 正確です。
だから
ぶあつくて どてっと しています。
でも 一応 楽です。
しかし
楽茶盌 というよりも 土人形です。
まあ
要するに こんなんが ひなやの おっさんは 好きで 喜んでいます。

八坂焼は 戦後 まもなくに なくなっています。

私は 京都へ 良くいきます。
三条も 四条も 祇園さんも 良く いきますが そのたび 八坂焼が どの辺で 売っていたのかな 想像して 歩いています。

日が暮れて 帰る頃 ちょっと 寂しくなってきます。

 

ボスニアで最近エジプトのガザのピラミッドより大きなピラミッド  24-1-27

 

号外 24-1-24

白虎?7世紀モンゴルの墓に「高松塚」似の壁画  読売新聞 1月22日(日)11時47分配信

青磁 桔梗(ききょう)香合清風与平  24-1-23
古くから格の高い青磁香合として賞賛された桔梗の香合。花弁をなした五角の造形で、胴には波状の櫛目。
優美な青磁作品。底は高台をなし、土見となっている。
『茶道筌蹄』に「桔梗七官」「桔梗形背高く横に竪筋あり」とあるように、七官青磁で、胴には波状の櫛目があり、数は極めて少ない。
形物香合番付では 小結に位し、昔から 茶人に 喜ばれたものらしい。
赤星家伝来 であったが のち 益田鈍翁の所蔵となった。

数学博士 岡 潔  24-1-20

日本人は こんな いろんな香合を 作って 喜んでいる。
見ようによれば 児戯に等しい。
こういう 香合を 一杯作って 香合番付まで 作って 喜んでいる。
ある意味 愛すべき 民族なのであるが
こういう 精神構造は いかにして できるのか?

と 昔から疑問に 思っていましたが
偶然に ネットで 楽しい 図 を見つけたので ご紹介します。
有名な 数学博士 岡 潔 です。

出典は

岡 潔 の生涯と思想 =心の根底にある「情」の世界= 横山 賢二

これは、横山賢二氏が岡家に行って、岡潔の生前の資料を見せてもらい、その中にたくさんの未公開、未発表の文献やらテープやらの存在を知り、本格的に研究し始め、7年ほどかけてやっとすこし言っていることの一部が分かるようになってきたという話であるようである。

その中に、岡潔博士の見つけた「人間の精神構造」の西洋人と日本人の違いの図
が実に興味深い。

 

職方  という はなし  竟求一閑24-1-18

茶の湯の 職方は 千家十職 というのが 一番 ということ なんですが 
必ずしも そういう わけでは 決してありません。

千家十職 というのは 正確に言えば 昭和に 始まった 表流のセオリーで 他の 各流には それぞれに 立派な 職方がいました。
要するに
千家十職より 優秀な 職方は 星の数ほど いたんです。
残念なのは いました、
という 過去形 であることです。

もう 無くなりました。
まあ
かろうじて それらの作品が 残っています。
今日の この竟求一閑の盆も それです。
それも
ドンドン 消滅していきます。
その上に 後続の職方が 全く育っていないのです。
指導者の 不在です。
日本の文化は 憂うべき状態にあるのです。

原発 と 一緒です。 原発 と比例しているのです。

竟求一閑  人物紹介
この人は よく 千家十職の飛来一閑と 間違いますが 別人です。
姓は 吉田で 吉田一閑とか 竟求(きょうきゅう)一閑 といいます。
作者は茶道塗師で、一閑張を専門とし、浪速一閑とも いいます。
四代まで 続きましたが そこで 終わりました。
四代の息子 佐久穂さんは 塗師として 将来を嘱望されていましたが 第二次大戦で召集され ハイラルで 亡くなられました。
四代は 疎開先の 兵庫県西宮市 夙川雲井町 で 亡くなり 娘の恵美さんが 先祖より残されたっ作品を 守っていらっしゃるそうです。
夙川雲井町 というのは ひなやのすぐ近くです。

 

居染家(いそめけ)天然図画庭園(てんねんずえていえん)  24-1-17

昨々年 
藤村庸軒と北村幽安 合作の庭園! を 拝見してきました。
その名も
居染家(いそめけ)天然図画庭園(てんねんずえていえん)

堅田の浮御堂から 歩いて3分程の所に こういう奇妙な名前の旧家があります。
居染家(いそめけ)天然図画庭園(てんねんずえていえん)、、、
何と、藤村庸軒北村幽安 合作の庭園!だそうで  そして茶室。
借景は 勿論、琵琶湖です。 ふぅーーーむ。
まあ、静かな町でした。 静かな一日でした。

そうそう 忘れないうちに バス停の名に 勾当内侍駅 ??? 何処かで聞いたことのある? ・・・

パラパラきだしたので 今日は帰ります。 車窓より灰色の淡海を眺めながら。

 

   

 

生田南水 と 花朝の親子。 24-1-14

生田花朝の お父さんは 生田南水 といって 学者でした。
略歴は だいたい

生田南水【いくた なんすい】
美術人名辞典の解説国学者・俳人。大阪生。名は宜人、通称を福太郎、字は子達、別号を夜雨荘・呦々居・百済・鹿鳴草舎、得田南齢門等。漢学を伊藤如石に、国学・和歌を岩崎長世・平尾寛正・渡忠秋に、篆刻を熊谷厳毅に学び、書画に秀でた。昭和9年(1934)歿、75才。

という具合ですが、
なかなかの 趣味人で 俳句も堪能で 絵も上手です。
そういう影響を受けて 生田花朝は 画家に なったんですが どうも 生田南水が 菅楯彦に 娘を 預けたような 形跡もあります。
勿論 生田花朝自身が 絵を 志したことは 間違いありません。

この生田親子も菅楯彦も 共通して いえるのは 俳句の 上手さです。
作意がなく 自然に 作っています。
プラス 教養がある。
いい時代だったのか いい世間だったのか。

来る雁。帰る雁  24-1-12

雁は秋分に寒地より来たり、 春分に帰ります。
単に 雁 といへば 秋の季です。
早春に 北の地に帰る鳥の中でも、 雁の別れは殊更に あはれ深いもののようです。

他に 季語としては
帰雁。 雁帰る。 行く雁。 雁の別れ。春の雁。

いい句は いっぱいです。

帰る雁 田ごとの月の 曇る夜に 蕪村。

春の雁にたいして 秋の雁もあります。秋は
かりがね。 がん。 初雁。 雁渡る。 雁来る。 来る雁。 落雁。 雁鳴く。などです。

これも 名句だらけ。

雁みるや 涙に濡れし 顔二つ 虚子。

 

 

 


干網の季節は? 24-1-11

夏目漱石の俳句に

配所には干網多し春の月 (はいしょにはほしあみおおしはるのつき)

・全集(昭和10年)で572-591の20句は「正岡子規へ送りたる句稿 その十一 一月二十九日 愚陀仏庵小集一題二句」として収める。

とあるようです。

ちなみに 干網 そのものには 季節はありません。
下記の和歌のように 秋にも 他の季節にも 登場します。

歌川広重の錦絵「金沢八景」 というものが あって それは

八景

平潟落雁 町谷村の南、平方の西なる鹽燒濱をいふ。
洲崎晴嵐 洲崎の民家連る所をいふ。
内川暮雪 Pが峰村の前の濱をいふ。
野島夕照 野島村の南へ出たる所、或はP戸の浦をもいふ。
乙舳歸帆 刀切村の東に船見ゆるをいふ。
P戸秋月 P戸の海上をもいふ。
小泉夜雨 釜利谷村の北の鹽濱をいふ。
稱名晩鐘 稱名寺の鐘をいふ。

金沢の方なら これが どこか お解りなんでしょう。
このうちの 一つに

野島夕照
 獨羨漁翁是作家。 持竿盪漿日西斜。
 網得魚來沽酒飲。 ○蓑高臥任堪誇。

 夕日さす野島の浦に干網のめならふ里のあまつ家々

というような 和歌があるそうです。

古事記のものがたり―稗田の阿礼が語るゆかいな「日本の神話」
小林 晴明 (著)   サン・グリーン社 発行 1500円



君が代 について 265Pに あります。最後です。 24-1-9



きみが代は 千代にやちよに  さざれ石の 巌となりて  苔のむすまで

この歌は、
いざなぎいざなみ「き(男)・み(女)」が仲むつまじく「みとのまぐあい」をして子供を産み、いついつまでも 「き(男)・み(女)」の子孫が繁栄して、平和が末永く続きますようにと 石長姫(いわながひめ)さまが「子孫繁栄」の祈りを込めて唄った歌なので ございます。

新しい21世紀に生きる、いざなぎといざなみの皆さん。仲良く「まぐあい」して 良い子をたくさん生んでくださいね。

そして 表紙裏の 巻末の言葉です。

日本には、こんなにすばらしい神話があるのです。
世界にもたくさんの神話が残っています。
自分達の神話を 忘れた民族は滅びます。
だから決して忘れないで下さいね。
阿礼は1300年ぶりに、「古事記」を楽しく語らせていただきました。
こんどは、あなたが子どもたちに 語り伝えてあげてくださいね。

若い ご夫婦 二人で 作った本です。
とても 解りやすく 子供でも読めそうです。 おすすめ。

24-1-4   今年は 古事記が編纂されて 1300年 の年です。

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今年は、西暦2012年。平成24年。そして皇紀2672年にあたります。
古事記が編纂されたのは、和銅5(712)年正月28日のことで、ちょうどいまから1300年前のことです。



24-1-2 嬉しいニュースです。 昨年末の ことですが。

2011(平成23)年12月28日、真宗大谷派(本山:東本願寺(京都市下京区))は、野田佳彦内閣総理大臣に対し、原子力発電に依存しない社会の実現に向けて、要望書を提出しました。

その要旨は、以下の通りです。

 1、放射線量の測定・周知と除染活動
 2、早急な避難措置(特に妊婦や子どもの避難措置です)
 3、被曝された方への長期にわたる健康管理と生活支援
 4、一刻も早い原発に依存しない社会の実現

中略

詳しくは こちらから。 薔薇、または陽だまりの猫

日本文化の 特徴は やはり 神道と仏教が 二つの両輪でしょう。
神道の代表は おおざっぱに言えば 天皇と お伊勢さん。
仏教は いろいろ ありますが 中でも 一番は 真宗です。

東本願寺が このように 意見を明瞭に 総理大臣に 要望書を提出した。
ということは 励ましに なります。
他の仏教界の 方たちも 是非 東本願寺さんに 続いてください。

国民の生命に 関することですから。

中略 本文に戻って。

一、原子力発電所事故による放射能飛散と被ばくの痛ましい現実から、原発の誤謬性を思い知らされました。未来を生きる子どもたちのためにも、一刻も早く原発に依存しない社会の実現を推進してください。

以 上

二〇一一年十二月二十八日

真宗大谷派
  宗務総長 安 原 晃

内閣総理大臣
 野 田 佳 彦 様

 

今年最初の ちょっと 寄道。 24-1-1

今年は、平成24年、紀元2672年、壬辰(みずのえたつ/じんしん)の年です。

「壬辰」の「(じん)」は、もともと糸巻きの心棒を描いた「I」型の字が原形です。
これに糸を巻き付けてふくれた姿をあわらしています。
膨らんだ姿ですから、女偏がつくと妊娠の「妊」の字です。
「壬辰」の「辰」は、もともとは古代において農機具として用いられた大きな二枚貝の貝殻をあらわしています。ですから農機具である「辰」の上に、「曲」が乗ると「農」になる。
ちなみに「曲」は、頭を使うという意味の漢字ですから、「農」は、知恵を絞り出して収穫効果をあげる、という意味なのだそうです。
さて、農機具である「辰」は、もともとは貝殻であり、自然の物です。
ですから「辰」の年は、自然の動きが時勢を引っ張る。
つまり「壬辰」は、自然の新たな息吹が膨らみ、あらたな時代が幕を明ける年、ということになります。

故に ひなやは 本年を 日本文化の再興元年。 と いたしまするーーーーーーうーーー。

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