ちょっと 寄道。

 

芭蕉の屏風。

大阪府堺市は 利休さんの 生まれた町です。
南宗寺という 利休さんに ゆかりの深い寺があり お墓もあります。
その 堺に こんな唄が あります。
「物の始まりゃ/なんでも堺/三味も小唄も/みな堺」と堺音頭に唄われています。
今日、ご案内の 堺窯 金田新平さんも 津塩吉右衛門さんも 南宗寺の近くに あります。
堺窯 へは 50年ほど前のことですが よくお伺いして 作品を分けてもらいました。 当時、二十歳代の私に とりましては お爺さんと、御婆さんが 二人で やっている 焼物やさんで 住吉人形等も 店頭に 並んでいる 楽しいお店でした。
何度も お伺いして 親しくなってきた ある日のこと お爺さんが 「うちの 宝物を見てくれ。」 といって 奥の小さな座敷に あげてくれました。
そこには 小さめの 二枚屏風が 広げられていて 何枚もの 色紙、短冊、消息などが 貼られていて まことに 古色蒼然と したもので、 そのうちの 一枚の短冊を 指さして 「芭蕉ですわ。」 というのです。
おじいさん(金田新平さん)は それだけで 黙ってしまいます。
私はというと どう答えたらいいのか 返答に詰まる というのはこのことです。
もう夕暮れでした そのまま 帰りました。
その後も 何度も 店を訪れました。
そのたびに 店の奥に ちらりと目をやると 相変わらず 芭蕉の屏風は あるのです。
その後 金田さんの 店を 尋ねることは 段々と なくなりましたが 芭蕉の屏風のことは 時々思い出します。
あの 屏風は どうなったんかなぁ と 夢に みることも ありました。
何となく あの お爺さんは 私の 本当の お爺さんだったような 気がします。
 

 

 

奥書。 書名、古筆。著者、春名好重。発行所、泰東書道院出版部
昭和18年12月15日 出版。これは 約200ページ わら半紙のような 粗悪な紙です。もう ボロボロです。
お近くの 図書館に あるかもしれません。

 

 

 

  老年こそ創造の時代 「人生百年」の新しい指針/田中英道(著者)
 

 

日本書蹟大鑑 第16巻 小松茂美編 講談社 より。

ところで この 日本書蹟大鑑は 全25巻 収録人物1270人 遺墨の数2900点 定価@4800円

と言う膨大な全集です。これが 私の バイブル なのであります。

この中には 単に書の資料というだけではなくて 人と歴史が つまっておるので ございます。

なので これから 思いつくままに 面白い話を ご案内したいと 思っております。

他にも 色々な 資料もありますが これ以上ご説明して ネタバレ しては 著者に 申し訳ないので ご興味のある向きには 是非 お読み下さい。 まあ 利休が 切腹せずに いたとしても 茶の湯愛好家には どうということも ないんですがねぇ 、、、

 

 

熊野(ゆや)、松風は メシのタネ。 その1

これは お茶の世界の ことでは ありません。
能 謡曲の 世界で 言い古された 言葉です。
では 簡単に ご説明します。 といっても 長くなりますが、
ひなやの説明は 初心者向けに 書いていますので 熟練者は スルーしてください。
温習会 って ご存知ですか?
おさらい 会 といって 発表会です。
謡曲の場合は 皆で 合唱するのが 初歩。 連吟 といいます。
次に ちょっと 上手になると 独吟、
ひとりで うなるんです。
もう少し 上になると 謡曲の 一部 10分くらいを 素謡します。
その次は 能 全曲を みんなで やります。
その時は シテ ツレ など 配役を 決めて やります。

ここまでは  だけ。 ここまでは 簡単です。

ここからは  が 入ってきます。

能 は 皆様 ご存知のとうりです。
あれを 真似事で やるんですが 初めは ちょっと 一場面だけです。

最後は プロが やっているように 全編 やりたくなります。
そうすると どの曲にしようかなあ、、、 と なりますが
たいがい 希望曲は 熊野 松風 なんですよ。
これを 衣装まで 借りて やるとなると 大変なんです。

ざっと 計算しましょう。

能 一曲を 舞うとすると

まず 囃し方 笛方・小鼓方・大鼓方・太鼓方の四役があって これを 雇うわけです。
次に 地謡の人 最低 3,4人。
それと 自分は シテ 主役ですね。
主役だけでは 芝居になりません。
脇役が よくないと いけません、そうすると
大先生が 特別に やってあげましょう となる。
ここまで やるなら 正式の 衣装を お貸し致しましょう。 特に、 となる。
全ての人に ご祝儀がいります。 あたりまえですよね。
ここまで 金が かかっても やりたくなるのが

熊野 松風なんです。

この経費は 今でいえば 最低 数100万円です。

だから 謡曲の師匠にとっては

熊野、松風は メシのタネ。
 という訳です。

 

熊野(ゆや)、松風は メシのタネ。 その2
以下は 私が 30歳手前の頃の 実際にあった 話です。
ですから 約40年程前の お話です。

私の 上得意の お客様、ある製薬会社の 会長さんです。
そう 80歳手前くらい だったでしょうか。

いつものように 納品に いったときです。

「小野君 こんどなぁ 熊野っ やるで。」
「はあ、、、」
「いやあ 師匠から 是非にて 頼まれたんや。」
「いつ何時やからな、」
「はあ、」
「頼むでぇ、、、」
「はい!」

私は 何がなんやら 解らんわけです。
とにかく
集金して ほっとして お宅を 出ようとすると
その家の 執事 みたいな オッサン が 追いかけてきて来ましてね、
「小野さん! 何枚 買うて くれはります?」
「?」
「20枚、 御願いしますは。」
「?」
「能の 切符でんがな。」
「はあぁ、、、。」
「お宅やったら もっと いけまっしゃろ けどなぁ。」

と チンチクリンな 目で ギュッと せまって くるんですよ。
わたしは 大体に この男が すかんのです。

会長の 買ってくれた 道具を 納品するたびに
この男は なんか ひっかかって くるんですよ。
会長に 会って 納めると この 執事のような 男が 金を 持ってくるんです。
それもね
いかがわしい奴に 盗られるように 持ってきて
横目で すかす様に 私を 見るんです。

なんか 鼻筋が ひん曲がって
口の 左半分くらいで 物いうんです。
それでね
発音は ハッキリしなくて 何を 言っても
「ビビンチョ、ビビビビ。」
って 聞こえるんです。
最後は こうです。

「あれは そないにするもんですか? ねぇ?」

こいつは いっつも 私に こういうんですよ。
大嫌いなんです。
顔は 人を 表す、 と 申しますが
大体に 相手を 正面から 見ない。
これは いけません。
しかも
半身になって 物言う。
言った後は すぐに 後向きに 顔を ゆがめて
「ふっ、」
って息を 吐くんです。

それでね 息がって 丸々眼鏡を 掛けやがって
インテリげんちゃ 見たいな 顔 しやがって
まるで 出目金 じゃん、、、 。
そういえば 口も デメキン そっくりや !

 

熊野(ゆや)、松風は メシのタネ。 その3

いよいよ 温習会の当日です。
大体 朝11時くらいから 始まって 夕方5時くらいが トリ です。
夕方 4時くらいに いよいよ 会長の出番。
勿論 熊野 です。

目も鮮やかな 能衣装に 面 をつけて 登場。
なかなかの 調子です。
終わりごろに 若干 面が 下がって 苦しそうでしたが
あの お年で あれだけ できれば と 私も感心しました。

引けてから 楽屋へ 一言 お祝いを と 参りますと、
丁度 会長は 衣装をはずして ホッと されていて
色んな 方と 話されておりました。

その合間を見て お声をかけようと した時です。
「会長さま! 最高で ございました。」
と 周りを みずに 藪から棒に 飛び込んでくるでは ありませんか。
みると あの デメキン です。そして こう 言うんですよ。
「良かったでございます。
もお お隣に お座りの ご婦人などは 感きわまって 泣いていらっしゃいました。」

と 大きな声で いうんですよ。

そこまでいうか? 
もう 私の出番は なくなりましたので
お後は よろしいようでと 帰りました。

ま ことほど 左様なことで
謡の師匠にとっては 良い一日だったんですね。

熊野(ゆや)、松風は メシのタネ。
 

 

 

利休は 隠れキリシタン だった。

納屋判 というのは 利休がつかっていた印鑑 のことです。

現在 この判が どこにあるのかは 解りませんが
使われていたのは 間違いないようです。

向かって 左側の アルフアベットのような 文字が ミステリー なんですよね。

以下は 『丸市菓子舗』さんの HPから お借りしました。
 
 納屋判には右側に「今市」中央に「なや」そして左側に書かれているのはキリシタン文字と言われています。今市とは、かつて利休の住んでいた地名で、今の堺市堺区宿院町の利休屋敷跡のあるあたりです。「なや」とは利休の家業が納屋衆(倉庫業)をしていたことからきています。そして興味深いのは左側の文字、利休は隠れキリシタンであったとも言われているそうです。

 

ちょっと 寄道。

値段の表示に ついて

ひなや は すべて 価格を 明示する。  という 方針です。

それで 5年間やってきました。
そして

「正札  現金  掛値なし。」 というのも そうで 
ある意味 ご理解頂けた と 勝手に 思っております。

で それは それとして
高いもの 何10万円 とか 何百万円 とかは

どうするか?

という 山に さしかかって きました。

高金額の ものについて 価格を 明示するか どうかですが
お客様から

「値段は いれないで。」

という ご希望が あります。

ネットで 「いくら で 出ていたよ。」

と 解ったもの 使える訳 ないでしょう!

という ご意見です。
 これは ごもっともな ことです。

それで 今後 お茶席で メインに使うようなもの、 印象深いものは

UPしても 価格は 明示しません。


そういう事に しましたので ご理解ください。 

 

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古典が むずかしい。 2014−5−25

日本語と 
あめりかないず。


昨今は 幼児教育と いうことで 三歳になりますと、
英語を 習わすそうですね。
小さな子を むりやり 英語塾に 連れて行って
ABC を 習わすそうです。

そんなことを この数十年 続けて
お陰で
英語ができて 日本語が できない という 若者が いるそうです。

それが いいか 悪いかは ともかくとして
母国語が なおざりに されている 、
ということは 
間違いありません。

日本だけではなくて 殆ど すべての 母国語が 毀損されている筈です。
これは 
私たちの きずかないうちに 

そういう 大きな 力が 働いているのでしょう。

おおまかには 地球規模で 全体と 個性 の どちらを 優先するべきか?

いうことで しょうね。
これは どちらが 正しい というのではなくて
立場によると 思うのです。

違う立場の 人同士が お互いに 相手を 尊重しあえば いいのですが
それは
どうも 難しいようです。

古典というのは そういう意味では
歴史 文化も 含めて
私たちが 使っている 言葉 そのもので
今 使っている 言葉のなかに 詰まって おるわけですから
古典は 過去のものでは なくて 今 そのもの。

いえるかも しれません。

古典と 現代が どこかで ブッチギリ られると いうことは
ありませんから。


なにか 解らない ことを いって すみません。
ようするに
古典 といったって 私達には 関係ない 昔の事だ。 って 放り投げたら いけないなぁ。

思うんです。

それは 「私には 父母も 先祖も ありません。」
と 
いうような もので しょうからね、、、

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田舎暮し  2014−5−8

昨日 (2014−5−8) 何年か ぶりに 奈良の明日香の里へ いって来ました。
登ったのは あまがしの丘。
900メートルほどの その 丘からは 大和三山を 手に取るように 眺められます。

天の香具山。
耳成山。
畝傍山。


明日香の田園風景が 四方に開けて 

あそこが 飛鳥寺
その向こうは 橘寺、

と 丁度 遠足に 来ていた 子供たちの 話を 聞きながら 薫風のもとで 一緒に勉強してきました。

ところで
この 明日香から 奈良の南へ ぐぐっと 入っていきますと 山奥に 川上村 という 山村が あるのですが
ここが なんと 日本の人口減少率 ナンバー ワン だというのです。
奈良県全体を とってしても 人口減少率は かなり 高い数字になるでしょう。

そういう訳で 奈良県は 人口誘致のため 田舎暮しを お奨めしています。
HP でも それらの 不動産物件の 案内を しています。
今日は 明日香の 村の 鯉幟を 眺めながら
こんな所で あと僅かの人生を 過ごしたいなぁ と 思うんです。

私は 大阪生まれの 大阪育ち。
町の鼠ですが 都会暮しには たいがい 嫌気が さしています。
以前から 田舎暮しを 夢見てきましたが
心の中に溜まった 田舎暮しへの 憧れ は ますます 膨らんできているのです。

いつか ひなや を 田舎へ 持って行って
細々とした 商いを 続けながら 日々を 送りたい。

そう思いながら の 明日香の 一日でした。

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真贋について  

大事なことですので ご説明申しあげます。
これは 当店の方針です。

真贋について

明治〜平成 にかけての商品は 本物であることを 保証します。

江戸時代 以前のものに ついては 真贋は 保証しません。

これだけは 覚えておいてくださいね。

ですから 江戸以前のものは お客様の 自己責任と なります。

では 今日のように 江戸初期のものを なぜ 出品したか といいますと
私が 本物で 良いものだと 判断したからです。

今後も こういう古いものが 出てきますが
そこのところを ご了解の程 お願いします。
うるさいようですが トラブルを 避けるために はっきり 申しあげておきます。

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そういう事ですので

普段 皆様に 買って頂いている 茶道具は 

明治〜平成 にかけての商品は 本物であることを 保証します。

に該当しますから  ご安心ください。

 

ちょっと 寄道。   

 

お正月便り! その2

京都洛北 周山街道を 登っていきますと 高尾 清滝 という名所。
北山杉も 紅葉も 有名ですね。
ここには 三つの 真言宗のお寺があります。
空海が 開いた聖地でも あります。    
栂ノ尾(高山寺)鳥獣戯画で 知られている。
槙の尾(西明寺)
高雄 (神護寺)
和気清麻呂の 墓が ある。
この三つを合わせて 三尾(さんび) というそうです。
元旦に この三つ 回ってきましたが ほぼ三時間程、
しんどかった  ぁ ぁ ぁ 、、、
まあ 一辺いっとけば 納得。


ここで 耳寄り情報。
旅館の お姉ちゃんに 聞きました。
蛍が最高らしい。
清滝川の清流に 蛍が乱舞する そうです。
旅館のおねえちゃん 「まるで 夢のようです。 ホントーニ。」
あの顔は 真剣に ホントー だった。
その節は 床で 食事が できると言う。
たしかに 苔むした小屋が 川原の そこここに 散見された。

「いっぱいに なるやろから 今日予約しとこか?」
おねえちゃん 「ソンナン ダイジョウブです。」
「エエー?」
おねえちゃん  「ハイ ダイジョウブデス。 いつでも いけます。」
「フーーーーン。」

穴場発見!
六月中旬。  一泊 17000円位だろう。  日帰りも 可。  要予約。
旅館もみじ家さんでの 一月二日 夕食中の出来事でした。
正月早々 ついて来たようだ。

 

 

唐門を いずれば日本ぞ 茶摘歌 芭蕉。
黄檗山といえば 普茶料理
7000円   5000円   3150円 と 3コースあります。
昼だけで 晩はありません。  結構 いけますよ。
他に おすすめは ここの お勤めです。
朝夕二回されていると 思いますが 素晴らしい 声明です。
読経は 日本語ではなく 明語で 唱えます。
夢のような 声明です。 和音は まさに 芸術です。
夕方の4時くらいです。必見です。  いや必聴です。  ご案内しますよ。
Manpukuji 01.jpg

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