掛軸と茶道具の卸店、ひなや福寿堂です。

水指14 宇治田原焼 松葉絵 水指  6万円 共箱
胴径17cm 口径11.5cm 高さ19cm

以下 画像の下に 説明を 添付しておきます。

 

尻すぼみの 形の良い 水指です
大きさ、 ほぼ標準。 重さ やや重い。

 

真横からの形です。

蕎麦風の釉をかけて その上に 白い幕釉を正面に化粧掛けして その上に 松葉を 描いています。
轆轤も絵付けの 完全に 手馴れています。 プロの仕事です。

 

裏側は 景色なし。

 

内側 状態 良好です。

 

印は 宇治田原焼 。

さて この底の土見せの部分を よく ご覧頂きたいのですが かなり 古いです。
少なくとも 江戸後期と みています。
その時代に この 宇治田原焼 というのが 果たして存在していたのか どうか?
これは 科学的には 証明されるものでは ありませんが 現実 ここに あります。

かなり 荒い土で ねばりけがあります。 赤目。

 

水指14 宇治田原焼 松葉絵 水指  6万円 共箱
胴径17cm 口径11.5cm 高さ19cm


宇治田原焼 うじたわらやき
国焼茶入の窯に宇治田原焼というのがあり、俗に朝日焼と同一視されていますが、宇治田原(京都府綴喜郡宇治田原町)は宇治(同府宇治市)とは別の地名で、信楽(滋賀県甲賀郡)に近い山間の僻地であります。
ここで果たして茶入が焼かれたかどうかは不審でありますが、松平不昧の箱書きにも宇治田原焼と明記され、正面の一筋なだれが特色のようで、不昧も特に「一と筋なだれ」と書き付けています。
白土で堅いです。

ということで 一般に 朝日焼の全身とされていましたが そうではなくて 朝日焼とは 無関係に存在していたのは 間違いないようです。

世間には この 宇治田原焼 というのは たまに 出てきまして 茶会にも 使われることが ありますが 数は 少ないです。

なので この水指については こう結論いたします。 赤字の部分です。

 

Q 「宇治田原焼」ってどんなやきもの?
A 江戸時代初期、茶、書、作庭など文化人としても活躍した大名「小堀遠州」は、各地の陶工を指導して茶器を焼かせ、それが現在の萩焼、朝日焼などに通 じる「遠州七窯」といわれるやきものになりました。同じ頃、宇治田原の陶工「奥村治郎右衛門」が茶器を焼き、黄釉に鉄釉を流しかけた「一筋なだれ」の茶入れなどを製作していたそうです。そのころの作品で現在伝世されているものは少なく、茶陶の世界で「宇治田原焼」というのは知られているものの、そう多くはありません。代表的なものに東京の茶道遠州流に伝世されている茶入れがあります。治郎右衛門はその後宇治に渡り、朝日焼の祖となったといいますが、町内に窯跡などの痕跡は確認されていません。立川地区の平岡に窯跡があったともいわれますが、そこにあるのは奈良時代の須恵器の窯跡で、付近から陶磁器の破片が発見されているからといっても、それを焼いたとはかぎりません。平岡の窯は須恵器窯によくみられる斜面 に設けた半地下式の窯で、宇治田原焼のような近世の陶磁器窯なら登り窯で、ほかにも窯道具などが発見されるはずです。また、そこで発見されたという陶磁器片は現在所在不明で確認ができません。

 治郎右衛門時代の作品とは別に、町内などに数点の「宇治田原」の押印がされた茶碗などのやきものが残されていますが、作風がまったく違うこと、永谷宗円のことを書いたものがあることなどから、後の時代にだれかが趣味で作ったものと考えられます。プロの手によるものと、ひいき目に見ても素人作品に見えるものがあります。これらは治郎右衛門時代の「宇治田原焼」とは区別 して考えなくてはなりません。現在宇治田原町総合文化センターの「お茶の資料室」に展示されている茶壺も後の時代のやきもので、やはり「宇治田原」という印判と、正面 に「献上天下一」裏面に「香雪園」という文字が刻まれています。

 

後の時代にだれかが趣味で作ったものと考えられます。プロの手によるもの というのが 今回の 水指です。

状態 良好です。

楽しいので 強く おススメ申しあげます。

 


原色陶器大辞典 加藤唐九郎編
淡交社 より。

 

 

 

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