MU28 久尻 加藤景光 鉄釉花入 H27.5


久尻窯…岐阜県土岐市泉町久尻で、天正年間(1573〜92)に加藤市左衛門
景光が九尻の清安寺の裏山に窯を築いたのが始まりとされています。景光
は瀬戸景正(初代藤四郎)の13世・四郎右衛門景春の次男(三男と言う説
も)で、織田信長から陶器窯業免許の朱印状を受けた人で、同業の妬みのた
め、瀬戸赤津には居づらくなり、縁戚を頼ってこの地に来たようです。景
光は退隠後は僧となって清安寺に住み、1585(天正13)年に73歳で没しま
した。後世の人は景光の偉績を称え美濃の陶祖と称しました。

天正2年頃瀬戸で陶芸の奥義を極め、織田信長の朱印状を与えられた加藤与三衛景光が、土岐の久尻に移り住み、またこの地の土(もぐさ土)が製陶に適することを発見し、窯を築き陶業を始めたといわれています。
 そして天正年間から文禄、慶長、元和(16世紀から17世紀)にかけての安土桃山時代には、唐物から和物へと改革された茶の湯の世界の流行とともに芸術性を高め、美濃焼を代表する瀬戸黒(引出黒)、黄瀬戸、志野、織部が、織田信長の保護のもとに数々の名工や、千利休や古田織部の指導により美意識の頂点まで登りつめ、茶人好みの数々の名陶が創り出される旬欄たる時代を迎えました。