7 御桃園天皇宸翰 和歌 御詠草
     いくかへり 千歳重ねて 香も深く 露をかさしの しら菊の花。 
     松ヶ枝の絵 二幅 
     三文会 出陳目録 アリ。

御桃園天皇 は 安永8年(1779年)に在位のまま22歳で崩御。 という 薄命の天皇であった。
この書からも 伺えるが 神経質な ご性格で 書の線は キリリと 切り込むような するどさがある。
短命な方だけに 作品は 極めて 少ない。

又 この掛物に 付属しておる 三文会 出陳目録も 貴重である。
同目録にある 会場の スナップ写真には 唐招提寺長老 森本孝順老師 が みえる。
この方は 昭和期の ご宸翰の 収集家として 有名である。

 

生涯​[編集]

明和5年2月19日(1768年4月6日)に立太子。皇太子が天皇の子(皇子)でないのは熙成親王(長慶天皇の弟、のちの後亀山天皇)以来400年ぶりで2020年現在最後の例[注釈 1]。天皇の甥が皇太子(皇太甥)になった例は益仁親王(光明天皇の甥でのちの崇光天皇)以来430年ぶり[1]。明和7年11月(西暦1771年1月)、伯母後桜町天皇の譲位を受けて即位。

在位中の安永2年(1773年)には、朝廷の経理などを行う口向に属する地下官人による大規模な不正が発覚し、江戸幕府による処分が行われた(安永の御所騒動)

病気がちであり、安永8年(1779年)に在位のまま22歳で崩御。なお、急逝による後継の準備のため、実際よりも後の日付で崩御が発表されており、在位日が崩御後も続いている(宮内庁所蔵「後桃園院御凶事前後記」)。
 

一文字 荘丹唐草文 本金金襴  

中廻 蝶文 本金金襴 

天地 波ニ鴬 吉祥文緞子  

軸先 象牙  

一文字 古今襴

中廻し 時代衣裳裂

天地  雲龍唐草文 緞子

軸先  象牙