9 松花堂猩々 懐紙 弘法大師の 八百年に 東寺にて、、、

本紙は 紙本。
打曇、金彩 上質 懐紙。

                猩々翁
弘法大師の 八百年に 東寺にて
 おほろけの みにしならてハ 八百年の
 けふの御法に あはむ物かは
悟道
 風のまゝに 立さはぐなり わきて見よ
 水をはなれて 波のあるかは

 

弘法大師八百年御遠忌 寛永十一年(1634年)

特に エピソードとしては

遠州が 松花堂に 宛た手紙に

高野山から 空海の書は 借りてきたので すぐ 見にこい。
という 事で
当時から 空海の書は 垂涎の的だったようです。

松花堂も 弘法大師八百年御遠忌 寛永十一年(1634年)には
心躍らせて お参りされたのでしょう。

松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう、
天正10年(1582年) - 寛永16年9月18日(1639年10月14日))は、江戸時代初期の真言宗の僧侶、文化人。姓は喜多川、幼名は辰之助、通称は滝本坊、別号に惺々翁・南山隠士など。俗名は中沼式部。堺の出身。

書道、絵画、茶道に堪能で、特に能書家として高名であり、書を近衛前久に学び、大師流や定家流も学び,独自の松花堂流(滝本流ともいう)という書風を編み出し、近衛信尹、本阿弥光悦とともに「寛永の三筆」と称せられた。なお松花堂弁当については、日本料理・吉兆の創始者が見そめ工夫を重ね茶会の点心等に出すようになった「四つ切り箱」、それを好んだ昭乗に敬意を払って「松花堂弁当」と名付けられたとする説がある[1]。

小堀 政一(こぼり まさかず)
天正7年(1579年) ー 正保4年2月6日(1647年3月12日)
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、茶人、建築家、作庭家、書家。2代備中国代官で備中松山城主、のち近江国小室藩初代藩主。官位は従五位下遠江守。遠州流の祖。

一般には小堀遠州(こぼり えんしゅう)の名で知られるが、「遠州」は武家官位の受領名の遠江守に由来する通称で後年の名乗り。道号に大有宗甫、庵号に孤篷庵がある。


表具は 裂表具。
一文字 小花唐草 吉祥文 金襴
中廻し 花兎文 縫取り 
天地 細絹 
軸先 象牙
箱 桐 二重箱