書1、 書2、  書3、 大徳寺 塔頭一行物

このページは 大徳寺塔頭一行物 を特集しています。

 

書71 藤井誡堂 茶烟永日香 12000円 共箱
掛軸寸法29.3×178cm
本紙寸法27.2×99cm

 お買い上げ有難うございました。

書9 戸上明道 行雲流水  15000円 共箱
掛軸寸法30.5×174.5cm
本紙寸法28.5×98.5cm

 

書166 大徳寺 藤井誡堂 無尽蔵 25000円 共箱
掛軸寸法60×116.5cm
本紙寸法57.5×30.5cm

書175 前大徳 西垣宗興 萬法帰一 15000円 共箱
掛軸寸法29.5×178.5cm
本紙寸法27×98.5cm

 

 

書85 佐藤朴堂 雪不落 別處 2万円 共箱
掛軸寸法48.5×125cm
本紙寸法45.5×33.3cm

書49 佐藤朴堂 日々是好日 2万円 共箱
掛軸寸法36×193cm
本紙寸法34×129cm

 

書127 雪尾要道 無事 15000円 共箱
掛軸寸法57.5×123.5cm
本紙寸法54.5×37.5cm

書141 観音寺 野村太仙 無事  15000円 共箱
掛軸寸法62×116.5cm
本紙寸法60×30.5cm

 

 

書128 佐藤朴堂 瑞雲 15000円 共箱
掛軸寸法60.5×114cm
本紙寸法58.2×30.7cm

書152 前大徳 福本積應 喫茶洗塵心 15000円 合せ箱
掛軸寸法30.5×171.5cm
本紙寸法28×99.5cm 

お買い上げ有難うございました。

書91 前大徳 小室大心 雲悠々水潺々 12000円 共箱
掛軸寸法31×171.5cm
本紙寸法29×101.5cm

 

   

書104 西垣宗興   15000円 共箱
掛軸寸法30.2×183.2cm
本紙寸法28×109cm

書115 福本積應 海月澄無影 15000円 共箱
掛軸寸法30.8×173.3cm
本紙寸法28.7×103.3cm

書101 佐藤朴堂 山中無暦日 15000円 共箱
掛軸寸法31×171.5cm
本紙寸法29×101.5cm

   

 

書129 須賀玄道 瑞雲 18000円 共箱
掛軸寸法54.5×116cm
本紙寸法51.5×32cm

 

書151 大橋香林 直心是道場 1万円 共箱
掛軸寸法30.4×183.5cm
本紙寸法27.5×100cm

書90 西垣宗興 常行一直心 15000円 共箱
掛軸寸法29×180cm
本紙寸法26×104.5cm

   

書170 西垣大道 瀧 1万円 共箱
掛軸寸法30.3×167.5cm
本紙寸法27.8×94.3cm

 

書31 大徳寺 喝堂 飾り扇子 無功徳 6000円 箱ナシ
51.5×37.2cm

 

 

 

50音順



高橋悦道  昭和23年大徳寺僧堂へ、後藤瑞巌・小田雪窓に師事。昭和28年、明星寺(滋賀県大津市 臨済宗大徳寺派)住職。

 

矢野一甫
臨済宗 大徳寺派 蔵雲寺 住職。


竹田益州 1896-1989。
大分生 臨済(りんざい)宗。
建仁寺派管長竹田恵恂に師事し,その法をつぐ。
祥瑞寺,大仙院の住持をつとめ,大徳寺執事長をへて昭和39年建仁寺派管長となった。


藤井誡堂 (ふじい かいどう、1898年(明治31)〜1984年(昭和59))
大徳寺515世管長、大徳芳春院二十二世、大徳寺塔頭三玄院住職

戦後より大徳寺の復興に瑞巌、雲窓らと共に尽力を示す。
特に茶陶に深い造詣を持ち、京焼陶工を指導して、江戸時代の紫野焼復興に功績を示す。
自作の茶碗、茶杓、茶掛書も数多く製作、茶席では大徳寺歴代管長の中でも人気の高いひとり。
印名は「誡堂」 「龍寶」(龍宝) 「露堂〃」 「麻弎斤」(「麻三斤」) など。

三玄院沿革天正17年(1589)浅野長政・石田三成らが、春屋宗園を関山に請じて創建。千宗旦が喝食(かっしき)としてこの院にあったのも有名。三成や古田織部の墓がある。茶室は工篁庵(三畳台目)が知られる。

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長谷川寛州 
老師 臨済宗 大徳寺 紫野 三玄院 元住職


細合喝堂 大徳寺塔頭龍源院 住職
龍源院(りょうげんいん)】
大徳寺の塔頭の中で一番古く、仏恵大円国師を開祖として能登の畠山義元、周防の大内義興、豊後の大友義親の三氏が創建。
龍吟庭、東滴壷、阿吽の石庭などの庭が知られる。方丈前の石庭は昭和末期に細合喝堂和尚の監修の元造られた。
・・大仙院を本庵とする大徳寺北派に対して、大徳寺南派の本庵とされている。

藤田寛道   フジタ カンドウ
生没年: 1925-1985 宗 派: 臨済宗
寺 院: 臨済宗 大徳寺山内 大光院 雲林院 前住職

京都の人。昭和41年、大徳寺山内大光院にて小堀明堂について得度。
同年、大徳寺僧堂に掛搭、小田雪窓、桃源室方谷浩明について修行。
昭和44年、大光院副住職となり、昭和49年、雲林院住職に就任。
同52年、福岡の崇福寺僧堂に再掛搭。
昭和55年、雲林院の修復に着工、昭和58年復興を果たす。
昭和60年遷化。世寿60。性来書画をよくす。

上田義山  うえだ ぎざん
臨済宗の僧。大徳寺五百十世。諱は良忠。大徳寺高桐院住持。昭和47年(1972)寂、81才。

須賀玄道 
大正8年1月30日大分県杵築市に生まれる。
元方広寺派管長足利紫山老師、元建仁寺派管長竹田頴川老師に就いて修行。
昭和22年5月、瑞泉寺住職となり現在に至る。
その間、大徳寺派布教師に任命されすでに三十余年の巡教歴がある。
臨済宗大徳寺派 瑞泉寺
住所 〒8720103 大分県宇佐市大字北宇佐1565

 

大徳寺瑞峯院 吉田桂堂
臨済宗紫野大徳寺塔頭瑞峯院長老 1888年生まれ、
大徳寺509世桂堂紹昌 (けいどうじょうしょう)、
1987年(昭和62)寂、99歳

瑞峯院 といえば やはり この お庭ですね。

瑞峯院
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独坐庭

 

宮西 玄性 みやにし げんしょう
明治37年 金沢市に生まれる
昭和 3年 京都府八幡の円福寺にて得度
昭和 8年 滋賀県明星庵 住職
昭和27年 大徳寺 黄梅院 住職 大徳寺 宗会議長を務める
昭和50年 退職
昭和57年 遷化 78歳

大徳寺508世 隋應戒仙(高安)スイオウカイセン
明治14年生まれ昭和47年(1972)寂、92才
大徳寺508世で聚光院住職であった
道号は隋応、法諱宗雄・室号は直入軒 号は雪山・高安、望待居 姓は中村

大橋 香林 (おおはし こうりん) (1901〜1983)
臨済宗大徳寺派。岐阜県に生まれる。花園大学を経て円山伝衣に学ぶ。大徳寺塔頭興臨院、那智勝浦円心寺、三重県龍王寺の住職を務め、大徳寺前住にすすんだ。昭和58年歿、82歳。

松長剛山 まつなが ごうざん 
<剛山宗忠 1943〜>ごうざん そうちゅう
大徳寺 高桐院 住職
昭和18年 大阪府能勢町生まれ
昭和25年 大阪府長杉寺 松長元祥に のち 京都建仁寺僧堂で、竹田益州に参禅
昭和46年 大徳寺塔頭高桐院 住職
三重県上野市龍王寺住職を兼務  大徳寺禅語録集成編纂委員
久田流有栖川系茶道13代家元
細川三斉流茶道顧問

西垣宗興
明治41年岐阜県生。昭和60年没。享年78歳 
京都大徳寺塔頭真珠庵(一休和尚の寺)に入る
同庵南山和尚に得度、僧名宗興、道号文山と改むのち兵庫県城崎の極楽寺住職。

前田昌道和尚   大徳寺頭塔 瑞峯院
昭和十四年和歌山県生まれ。
鎌倉円僧堂で朝比奈宗源に参禅。
同四十九年大徳寺塔頭瑞峯院住職に就任。

後藤瑞巌 ごとう-ずいがん
1879−1965 明治-昭和時代の僧。
明治12年10月18日生まれ。臨済(りんざい)宗。
鎌倉円覚寺の釈宗活(しゃく-そうかつ)に師事後,渡米して布教にあたる。
大正3年朝鮮の妙心寺派の布教監督となる。
のち岐阜県円成寺住持などをへて,妙心寺派管長,大徳寺派管長をつとめた。
昭和40年3月20日死去。85歳。岐阜県出身。東京帝大卒。法名は宗碩。

福本積應師
昭和五年 京都府に生まれる
昭和三十四年 大徳寺派招春寺住職を拝命
昭和五十八年 大徳寺派宝林寺兼務住職を拝命
平成十六年 宝林寺を後任住職に譲 再度招春寺住職を拝命

小田雪窓
臨済宗の僧。大徳寺五百六世。姓は小田、雪窓は道号、諱は宗甫、室号は蔵暉。五百三世後藤瑞巌の法を嗣ぐ。僧堂師家となり、昭和30年十一代管長に就任、のち開堂した。龍翔寺に住した。昭和41年(1966)寂、65才。

前田宗源 禅師
臨済宗 大徳寺派 赤穂義士遺跡 瑞光院(京都)。
昭和七年四月十日京都に生まれる。
京都 建仁寺 僧堂にて修行。
・瑞光院の由来
京都 紫野 臨済宗大本山 大徳寺派に属する
紫雲山 瑞光院は  慶長十八年(1613年)創建。
赤穂 浅野家とは縁があり、四十六士の遺髪が埋葬されている。

小堀定泰
書家, 僧 1991 ( 明治38 )〜 ( 現在 )
江戸前期の茶匠、造園家として有名な小堀遠州の末裔。
1965年に長年朽ち果てていた近江の狐篷庵(小堀家菩提寺)の本堂及び庭の再興に着手。
一行物茶掛など書を能くするが市場にはあまり出回らない。

 

長谷川大真(はせがわ・だいしん)
1957年生まれ。臨済宗三玄院の長谷川寛州の一人息子。駒沢大学仏教学部卒業。相国寺僧堂で約6年修行の後、三玄院副住職、先代の隠居にともない住職となる。

立花大亀
臨済宗の僧。大徳寺塔頭徳禅寺長老。大阪生。
南宗寺で得度し、妙心寺専門道場で修行。大徳寺執事長・大徳寺派管長代務者等を歴任。
昭和57年花園大学学長に就任。平成17年(2005)寂、105才。

大亀和尚民芸館
大徳寺如意庵の元住職、立花大亀師が昭和55年大宇陀町(現:宇陀市大宇陀)に松源院(元大徳寺塔頭(たっちゅう=別院*)を再興しました。
そのとき、同師が所持する墨蹟、茶道具などの美術品および民具などを永久保存するとともに、広く一般に公開して美術品の鑑賞・学術研究の資とし、
文化の振興に寄与することを願って、(財)松源院民芸館を設立しました。
同師の遷化(平成17年)ののち、地区民の教化、県指定文化財山岡庄屋の保存(松源院の復興)、清泉庵の開創(=寺を開くこと*)などの地域への(同師の)貢献を記念するため、
本館の名称を「大亀和尚民芸館」に改めました。

『利休に帰れ』里文出版 立花大亀老師著


山口 大痴 やまぐち だいち
<大痴 宗秀 1914〜1985> だいち そうしゅう
大正3年 長崎県に生まれる。
須磨禅昌寺で島田菊遷に就き、相国寺・永保寺・南禅寺の各僧堂において修行を重ねる。
昭和46年 大徳寺興臨院の住職に就任。
昭和60年 遷化 71歳。
晩年は 萬拙とも号した。
大徳寺 塔頭 興臨院の住職

興臨院(こうりんいん)
京都府京都市北区紫野にある、臨済宗大本山大徳寺の塔頭である。通常は公開されていない。
大永年間(1521年〜1528年)に能登の畠山義総が仏智大通禅師を開祖として建立、以来畠山家菩提寺となる。
その後、畠山家が没落するが天正9年(1581年)に加賀百万石の基礎を築いた前田利家により改修が行われ、前田家の菩提寺となり庇護される。

 

興臨院
本堂・表門・唐門(いずれも重文)は室町期創建の禅宗建築の代表作。方丈庭園は桃山風の豪放な石組みで、理想の蓬莱世界を表現している。能登の畠山氏が創建し、後に前田利家公が修復。以来、前田家の菩提寺となっている。
 

ここで 見て頂きたいのは 山門と 床の間 です。

山門は 大徳寺塔頭のなかでは 最古のもの。 そして

床の間は 日本で 最古のものなんですよ。

床の間

本堂内書院の床の間は日本最初のものといわれる。

でも ここは 公開されていません。

特別に 以下の期間 土、日曜日 のみ 拝観できます。 土、日に 大徳寺へ お出でになったら 是非 おもいだして 拝観してください。

拝観案内

平成25年春季特別公開期間:
 平成25年3月23日(土)〜6月2日(日)

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小林太玄 大徳寺黄梅院
太玄(太玄義透=ぎとう)師略伝
昭和13年(1938)奉天に生まれる。6歳で両親を失って出家。昭和36年、花園大学卒業、相国僧堂に掛塔(かとう)。
大津歴堂に参禅。昭和50年、黄梅院住職に就任。昭和63年、更に花園大学福祉学科に学士入学。
遊学研鑽ののち平成3年卒業。現在に至る。

西垣大道(にしがき・だいどう)
昭和17年、兵庫県に生まれる。昭和24年、分山宗興について得度。日本社会福祉大学卒業後、大徳僧堂、のち相国僧堂に掛塔。昭和51年、仏教大学大学院修士課程修了。昭和53年、兵庫県城崎郡の大徳寺派極楽禅寺住職に就任し、現在に至る。

小室大心 昭和24年 大徳寺派長楽寺住職に就任

足立泰道 (あだち たいどう)和尚
臨済宗 大徳寺派、瑞龍山 雲澤禅寺(兵庫県) 閑栖。
1937年 12月生まれ。
1969年 雲澤寺副住職。
1975年 雲澤寺住職。
1986年 大徳寺派前住職。
1987年 施大徳寺改衣式。
2009年 閑栖。
瑞龍山 雲澤禅寺
兵庫県富岡市に位置し、元和年間 沢庵和尚により中興されました。

孤篷庵 小堀卓巌和尚
大徳寺塔頭、孤篷庵住職
昭和6年 愛知県生まれ 妙心寺派に属す
昭和28年 大徳寺塔頭 孤篷庵 17代・小堀実道和尚に就き修行
昭和42年 大徳寺塔頭 孤篷庵 18代住職に就任
平成 2年 大徳寺派宗務総長に就任
再住大徳・525世

黄梅院沿革
春林宗俶が創立した黄梅庵を、法嗣の玉仲宗秀が小早川隆景の援助を受けて塔頭として増築。
天正16年(1588)に完成した。本堂は代表的な桃山時代禅院建築(重文)であり、伝雲谷筆の襖絵も有名である。
また書院自休軒があり、紹鴎好みの四畳半の茶室昨夢軒がある。庭園は枯山水と苔庭。
境内墓地には小早川隆景、蒲生氏郷ら戦国武将の墓がある。

森 洞雲 大徳寺 塔頭 玉林院の前住職

桃林和尚  小関宗園ご老師の事)
臨済宗 大徳寺塔頭 大仙院住職
昭和7年奈良市に生れ。
高校三年の時仏門に入り、併行して奈良教育大学に入学。
昭和30年の卒業と同時に相国寺僧堂へ入り 大津櫪堂(れきどう)老師に参禅。
昭和40年、33歳で大徳寺塔頭大仙院住職に就任。
平成4年からは南宗寺(堺市)の特命兼務住職も務める。
本山役員の他、最高裁調停委員など活動も幅広く、著作も数多い。

神波東嶽 
大徳寺塔頭 養徳院 神波東嶽 (← 福本宗応)

野村太仙   臨済宗大徳寺派 福岡県芦屋町の観音寺住職
         所在地 遠賀郡芦屋町西浜町3−35

 

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小堀南嶺 大徳寺龍光院

 

南禅寺 牧雲 塩澤大定
京都の東山にある臨済宗南禅寺派大本山南禅寺十一代管長で号は牧雲。

佐藤朴堂
福聚院住職 佐藤宗秀 道号 朴堂。昭和22年兵庫県(但馬)大徳寺派蔵雲寺煕道和尚に就て得度。昭和31年京都花園妙心寺専門道場に禅修行のため掛錫。昭和46年大徳寺派福聚院に住職す。昭和52年大徳寺前往位に昇進

 

小堀明堂 (みょうどうそういん)−(〜1986)
大徳寺519世、塔頭大光院住職、昭和61年示寂・世寿83。

横井明堂
大阪府堺市にある大徳寺派南宗寺塔頭小林寺の住所を務める
南宗寺では武野紹鴎や千利休が修行したゆかりの寺で、沢庵和尚が住職をしたこともある名刹

戸上明道
昭和10年 三重県生まれ 
昭和32年 龍谷大学卒 
昭和39年 立命館大学院修了 
大徳寺専門道場へ掛塔 小田雪窓老師に師事 
昭和52年 玉龍寺住職 
平成 2年  前住位稟承
大徳寺派・玉龍寺
寛永六年(1629)頃の創建
開山は大徳寺170世・清浄本然禅師・清巌宗渭大和尚

 

 

橘了庵   宗義  (たちばなそうぎ)
1941(昭和16)年、京都府に生まれる。
花園大学卒業。埼玉県野火止・平林寺僧堂に掛塔の後、大本山大徳寺別院徳禅寺代表役員・住職に就任。 大徳寺執事、大徳寺派庶務部長、同宗務支所長、日中友好臨済・黄檗協会理事等を歴任。その間、徳禅寺護持と開山・徹翁和尚顕彰を目的とする徳禅寺護持会を設立、現在に至る。
著書に「大徳寺一行名品集」(共著、求龍堂、2000)などがある。

橋本 紹尚 (奈良県・神護山 芳徳禅寺)
昭和14年奈良県生まれ。大徳僧堂に掛塔し小田雪窓に参禅。昭和47年芳徳寺(奈良県)住職に就任。
神護山 芳徳禅寺
芳徳寺は、寛永十五年に、柳生宗矩が亡父石舟斎宗厳の供養のためのち柳生氏代々の菩提所ともなった。


橋本紹尚さんの お寺は 奈良の柳生の里に あります。
綺麗な お寺です。
沢庵宗彭の開山により 創建されたと 伝えられています。

 

芳徳寺
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本堂


雪尾要道 
兵庫県 出石にある 大徳寺派 宗鏡寺(すきょうじ)通称 沢庵寺の住職を務める。

円覚山宗鏡寺(すきょうじ)(通称沢庵寺)は、出石町東北、入佐山にあり、
開山は京都五山の一つ東福寺の大道一以禅師でございます。
沢庵和尚は、天正元年(1573)12月1日出石城下(現:兵庫県豊岡市出石町)生まれです。

宗鏡寺の参道と山門
宗鏡寺の参道と山門
宗鏡寺の山門
宗鏡寺の山門

詳しくは こちらから。

 

三重野与雲和尚
大徳寺紫野芳春院 住職 別号として与雲和尚は芳春院の前住職で荊州とか宗璞。

 

竹師

黒田宗傳
昭和6年、二代宗傳の長男として京都に生まれる。
初代は十代黒田正玄の次男、明治29年に分家。

影林宗篤
昭和21年 奈良県 生駒 高山に生まれる
昭和40年 家業の茶道竹工芸を学ぶ
昭和45年 以後、大徳寺 藤井誡堂師、
        宮西玄性師の指導を受ける

海野宗秦
1947年 京都に生
1964年 竹器師・宗陵に師事
1966年 伏見工業高等学校工芸科を卒業
1970年 宗秦を拝名
 

画家

濱田松陽

田中松泉
1918年(大正7年戊午)生。奈良県出身。日本画家。

山口木水
昭和22年生。年少より茶道に親しみ 禅を通じ絵画に励む
主婦業傍ら行雲に師事 関西大卒 神戸市在住

坂口行雲
京都美術学校卒で大阪の河内長野に在住。

京都の扇子師 松月堂 中村清兄
箱書付には「下絵清兄」とあり、大亀老師の松月堂に対する親しみを込めた敬意が感じられます。
 

 

 

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