書115 土佐光貞 菊の絵 本居太平 讃 35,000円
       倉田績 極め箱
掛軸寸法21×158cm
本紙寸法19.5×104.5cm

 

本紙は 紙本。
細物にて 姿良し。
讃は 本居宣長の 養子さんで 本居太平 。

千代いはふ かさしの菊の 露のまに 老わかえ(?)ぬる けふのさかつき 太平

重陽の節句などに 最適です。

絵は 土佐光貞 。

箱書は 倉田績 。

とても 洒落た掛物です。

表具は 裂表具。

文人表具。

 

やや折れありますが 150年ほど 前の物ですので

状態 良好と言えます。

強く おススメ申しあげます。

 

 

 

 

 

土佐光貞
江戸後期の土佐派の画家。土佐光芳の次男。幼名は茂松、字は士享、号は廷蘭。分家して絵所預となる。従四位下に叙され、左近衛将監・土佐守に任じられる。大嘗会・寛政の内裏造営で屏風・障子に揮毫した。文化3年(1806)歿、69才。

倉田績(読み)くらた いさお.
漢学者。伊勢の人。初名は朔太郎、通称は亀之助、字を以成、号に何庵・柚岡・允斎。佐藤一斎に学ぶ。紀伊藩に使え和歌山に住す。伊勢神宮祝官・竈山神社宮掌に任じられた。大正8年(1919)歿、93才。
 

本居 大平(もとおり おおひら、宝暦6年2月17日(1756年3月17日) - 天保4年9月11日(1833年10月23日))は、江戸時代後期の国学者。号は藤垣内。
伊勢国松坂(現在の三重県松阪市)の町人・稲懸棟隆の長男。13歳で本居宣長の門に入り、寛政11年(1799年)、宣長の養子となる。
宣長の祖述につとめ、宣長の実子・本居春庭の失明後は家督を継いだ。紀州徳川家に仕え、侍講などをつとめた。
 

 

このページに直接入られた方は こちらから TOP へ お帰りください。

お問合せは、
ひなや福寿堂 TEL.FAX 0798−26−2553 へお願いします。
〒662-0042 兵庫県西宮市分銅町7-6
http://.hinaya.biz
E−mail:info@hinaya.biz