書133 菅楯彦 立雛 叡運賛 35000円 合せ箱
掛軸寸法36×196cm
本紙寸法33.5×137.5cm
本紙は 紙本。
半切。
細物にて 姿良し。
絵は 菅楯彦 さん。
かわいい 楯彦さん独特のお雛様です。
おそらく 菅楯彦 が 20〜30歳くらいの時の作品です。
賛は 藤村叡運 。
玉殿にまつる ひゝなの いもとせは 千とせかわらぬ 契なりけり 叡運
楯彦と 叡運 の 組み合わせはたまに見かけますが そうあるものではありません。
藤村叡運 は
1848−1917 明治-大正時代の僧。
嘉永(かえい)元年生まれ。真言宗。奈良の東大寺真言院から大阪高津の自性院にうつり,のち契沖の旧跡として知られる円珠庵の住職もかねた。中村良顕(よしあき)にまなび,和歌にひいでた。大正6年12月31日死去。70歳。山城(京都府)出身。
表具は 紙表具。
全体 僅かしみありますが
状態 良好といえます。
おススメ申し上げます。
楯彦さんと 花朝さんと お雛さんの 絵の話。
楯彦は 花朝を弟子にとってから 雛の絵は 描きませんでした。
注文があると お雛さんは 花朝に書かせてやってくれ と
言って 雛は 書かなかったそうです。
だから 楯彦の人生の 後半にはお雛さんの絵はまずありません。
その代わりに 花朝さんのお雛様は 沢山あります。
花朝さんの 雛の絵には 楯彦さんは必ず
みちとせに なるてふ桃の今年より 花咲く春にあひにけるかな。
という歌を讃しました。
麗しい 師弟愛でございますね。
藤村叡運 ふじむら-えいうん
1848−1917 明治-大正時代の僧。
嘉永(かえい)元年生まれ。真言宗。奈良の東大寺真言院から大阪高津の自性院にうつり,のち契沖の旧跡として知られる円珠庵の住職もかねた。中村良顕(よしあき)にまなび,和歌にひいでた。大正6年12月31日死去。70歳。山城(京都府)出身。