書62 大綱 画賛 無事是貴人 狩野永岳(絵) 寿老人 22万円 合せ箱
掛軸寸法31×192.5cm
本紙寸法28.5×112cm

本紙は 絹本。
細物にて 姿良し。
書は 大綱さん 。
無事是貴人。


絵は 寿老人で 狩野永岳。
狩野 永岳(かのう えいがく、 寛政2年(1790年) - 慶応3年1月2日(1867年2月6日))は、江戸時代後期に京都を中心に活躍した画家。京狩野家9代。桃山風の画風を基本に円山四条派や文人画、復古大和絵など様々な画風を取り入れ、低迷する京狩野家を再興した。永岳(永嶽)は諱。初名は泰助、字を公嶺。山梁、晩翠、脱庵などと号した。代々の通称、縫殿助(ぬいのすけ)を名乗った。京都の人

状態は すこぶる良好です。

そして 大綱さんの 一行も 見事で 
滅多にあるものではありません。


表具は 裂表具。おそらく生表具。
一文字 唐草文金襴
中廻し 宝尽くし文 どんす 
天地  衣装裂
軸先  おそらく 唐木
箱   桐



状態 良好です。
大綱さんの 最高クラスの書です。
格安にて 強く おススメ申しあげます。

 

大綱宗彦 だいこう-そうげん
1772−1860 江戸時代後期の僧。
安永元年生まれ。臨済(りんざい)宗。京都大徳寺住持。同寺塔頭(たっちゅう)黄梅院にすむ。歌をよくし,書画にすぐれ,10代千宗左,11代千宗室らとまじわった。安政7年2月16日死去。89歳。京都出身。日記に「黄梅院大綱日記」など。


狩野 永岳(かのう えいがく、 寛政2年(1790年) - 慶応3年1月2日(1867年2月6日))は、江戸時代後期に京都を中心に活躍した画家。京狩野家9代。桃山風の画風を基本に円山四条派や文人画、復古大和絵など様々な画風を取り入れ、低迷する京狩野家を再興した。永岳(永嶽)は諱。初名は泰助、字を公嶺。山梁、晩翠、脱庵などと号した。代々の通称、縫殿助(ぬいのすけ)を名乗った。京都の人

狩野 永岳(かのう えいがく、 寛政2年(1790年) - 慶応3年1月2日(1867年2月6日))は、江戸時代後期に京都を中心に活躍した画家。京狩野家9代。桃山風の画風を基本に円山四条派や文人画、復古大和絵など様々な画風を取り入れ、低迷する京狩野家を再興した。永岳(永嶽)は諱。初名は泰助、字を公嶺。山梁、晩翠、脱庵などと号した。代々の通称、縫殿助(ぬいのすけ)を名乗った。京都の人

大綱宗彦 だいこう-そうげん
1772−1860 江戸時代後期の僧。
安永元年生まれ。臨済(りんざい)宗。京都大徳寺住持。同寺塔頭(たっちゅう)黄梅院にすむ。歌をよくし,書画にすぐれ,10代千宗左,11代千宗室らとまじわった。安政7年2月16日死去。89歳。京都出身。日記に「黄梅院大綱日記」など。