浄中 (1888 - 1960) :(清右衛門) 箱書

姥口獨楽形間鍋 右者享保年時代 弥五郎作 無紛者也 乙未(昭和30年) 仲冬日 御釜師 大西清右衛門 印。

 

t82 名越弥五郎造 姥口  獨楽形  間鍋 8万円 合せ箱
     十四代 大西清右衛門 極め箱
胴径15cm 高さ13.2cm

まず 箱書から いきます。

浄中 (1888 - 1960) :(清右衛門) 箱書 で

姥口獨楽形間鍋 右者享保年時代 弥五郎作 無紛者也 乙未(昭和30年) 仲冬日 御釜師 大西清右衛門 印。

とあります。

この中の 享保年時代 弥五郎作 という釜師は 下記を ご参照頂きたいのですが 

何代かは 特定しにくいのです。

浄中 さんも 何代かまでは 特定できないので このように 書かれたと おもいます。

でも あえて 決めるとなると 四代 昌美、延享三年(1746)歿  ということに なるかもしれません。

ところで この 燗鍋 ちょっと 蓋を 御覧ください。

ほんとの コマ のような 蓋です。

燗鍋全体を とっても ホントの 独楽の 形です。

楽しいです。

遊び心 というのは このこと で ございますね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私が この 燗鍋を 手に入れたときは 手も取れて 錆も ありましたので

釜師に たのんで 修理してもらいました。

内側も 錆をとって 漆仕上げ にして貰いましたので これで 状態 完璧です。

こうして 蘇って 平成の世に 使ってもらって 弥五郎 さんも 喜んで くれると おもいます。

ありがとうーーーーーー 。 おいら がんばるよ !

初春の 一日 楽しい 燗鍋で ちょっと 嗜んでください。

もし なんでしたら 私も 呼んでください。

こんな 酒飲み よばないでね、 常識ないんだから 

お後が よろしいようで 、、、、、

 

江戸名越家(えどなごしけ)は、名越家十一代善正の次男家昌が、徳川幕府に召し出されて江戸に下り興した釜師の家です。
江戸名越家は、代々弥五郎を通称とし、幕府御用釜師として幕末まで続き、釜作りは現在も行われています。
江戸名越家
初代 家昌、寛永六年(1629)歿
二代 政信、貞享二年(1685)歿
三代 道正、宝永五年(1708)歿
四代 昌美、延享三年(1746)歿
五代 昌道、宝暦十二年(1762)歿
六代 建福、号浄越、大西五郎左衛門二男、文政二年(1819)歿
七代 昌明、初名建明、号一釜斎、文政十年(1827)歿
八代 昌孝、本名山田権次郎、昌明養子、嘉永四年(1851)歿
九代 昌芳
十代 昌晴、本名小幡仁之助、昌孝女婿、明治四十四年(1911)歿
十一代 昌次
十二代 昌利
十三代 昌輝
十四代 昌広

『茶家酔古襍』に「家昌 弥五郎、随越と号す、善正三男、名人、慶長十九年四月十四日越中少掾に任す、被召出御用相勤年々江戸へ下る、寛永年中大西村長井并堀浄甫を召連江戸へ下り其後寛永六年京都に於て死す。正信 弥五良、上手、父家昌と同々年々江戸へ下る、寛永十七年より江戸居住、遠州公御好蝉釜、イタラ貝釜、石州公御好雲龍并風呂、浮桶写、棗形、富士形釜、雁皮風呂、貞享二年死す。道正 弥五良、上手、石州公時代、宝永五年死す。昌義 弥五良、上手、宗徧時代、延享三年死す。昌道 弥五良、宝暦十二年死す。建福 弥五良、薙髪後浄越と号す、文政二年死す、土斎所持山の井釜写、不白好菊の銚子、木魚手炉。昌明 弥五良、初名建明、一釜斎と号す、文政十年死す。昌孝 初名権次良、今改弥五良。」とあります。

 

浄中 (1888 - 1960) :(清右衛門)

 

このページに直接入られた方は こちらから TOP へ お帰りください。

お問合せは、
ひなや福寿堂 TEL.FAX 0798−26−2553 へお願いします。
〒662-0042 兵庫県西宮市分銅町7-6
http://.hinaya.biz
E−mail:info@hinaya.biz