茶碗8 五代 清水六兵衛 赤 茶碗 2万円 共箱
口径11,5 高さ8cm

作は 名工 五代 清水六兵衛 。

歴代 清水六兵衛家のなかでは 初代を 除いて
この 五代 清水六兵衛さんは 最大の功績を 残しています。

こんな 楽茶碗くらい 平気で 作ります。
画像を よく ご覧頂きたいのですが
この 大らかな ヘラ目、
落ち着いた 釉色。
胴の さりげない 〆ぐあい、

プロっていうのは こんなもんですね。
一碗 いけます。

大きさ、重さ ともに 標準。 
やや 重めかな 290g。

欠点は 箱のが ちょっと 汚れているだけです。

正面 景色 最高。

状態 良好です。
超 おススメ!

見込み 状態 良好です。↑

 

裏側。

正面。

正面 右側 ↑

共箱。

高台 渦。 印。

箱の蓋 汚れています。

 

五代六兵衞は、四代六兵衞の次男として1875(明治8)年に生まれた(幼名・栗太郎)。祖父、父と親交が深かった日本画家・幸野楳嶺に師事し、その後、父について作陶を学んだ。

明治30年代から、京都市陶磁器試験場の協力を得て西洋の新しい釉技などを積極的に研究し、また同時に浅井忠などとともに中心となって陶磁器図案研究会「遊陶園」活動を始め、図案を改良した陶磁制作を行った。父が1902(明治35)年頃から病床にあった頃は、父の名で代作も行い、1914(大正3)年に五代を襲名。前後して音羽焼、大礼磁などの独自技法を打ち出した。こうした制作の成果を1913(同2)年にはじまる農商務省主催図案及応用作品展覧会に問い、高く評された。同時に琳派風、仁清風の伝統意匠も研究し制作を行った。その後も各美術展覧会を活躍の舞台とし、1927(昭和2)年に帝国美術院展に美術工芸部門(第四部)が新設されると、京都からただ一人審査員として選出された。1937(同12)年、帝国芸術院会員就任。

1945(昭和20)年に長男・正太郎に家督を譲り隠居、六和と号し、亡くなるまで作陶を続けた。1959(同34)年に死去。

 

 

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