茶盌92 華中亭 高橋道八 京名所 片口茶盌 2万円 共箱
胴径14.5cm 高さ8cm

作は 京都の  高橋道八 さんです。

残念ながら 箱書がないので 何代かは特定できません。

が おそらく 五代です。

それで この茶盌ですが まことに面白いので ご案内することになりました。

まず 茶盌の形は 片口形です。

これがまた 面白いです。

とくに 弁慶のような お坊さんが金を担いでいます。

その向こうには 五条大橋が見えます。

この絵は 道八の自筆です。

釣鐘弁慶というのは 有名なお話です。

詳細は 下記を ご参照ください。

 

 

 

そして この絵の右側に 賛があります。

賛には 山伏が 法螺吹きまくる 京名所 ?人。

と あります。

これを書いた人は 道八ではありません。

おそらく 素人の数寄者です。

それにしても面白い俳句です。

いや 狂歌 というべきか。

季節は 春秋でしょうね。

まあ なんとも面白い茶盌です。

状態 良好です。

強く強くお勧め申しあげます。

 

弁慶の引き摺り鐘

当寺初代の梵鐘で、奈良時代の作とされています。 むかし、承平年間(十世紀前半)に田原藤太秀郷が三上山のムカデ退治のお礼に 琵琶湖の龍神より頂いた鐘を三井寺に寄進したと伝えられています。
その後、山門との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると ”イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので、 弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといいます。 鐘にはその時のものと思われる傷痕や破目などが残っています。
また、この鐘は寺に変事があるときには、その前兆として不可思議な現象が生じたといいます。 良くないことがあるときには鐘が汗をかき、撞いても鳴らず、 また良いことがあるときには自然に鳴るといいわれています。

「園城寺古記」という戦国時代の記録には、文禄元年(1592)七月に鐘が鳴らなくなり 寺に何か悪いことが起るのではないかと恐れた僧侶たちは、 様々な祈祷をおこなったところ八月になってようやく音が出るようになりました。

また建武の争乱時には、略奪を恐れ鐘を地中にうめたところ、自ら鳴り響き、 これによって足利尊氏軍が勝利を得たといわれるなど、 まさに霊鐘というにふさわしい様々な不思議な事件をいまに伝えています。

現在は撞かれることもなく金堂西方の霊鐘堂に奉安されています。

 

 ここは 建仁寺の向かいにあります。

高橋道八
仁阿弥高橋道八(初代)宅の碑、京都市東山区五条通東大路西入南側
高橋 道八(たかはし どうはち)は京焼(清水焼)の窯元の一つで、陶芸家の名跡。江戸時代後期より作陶に携わり、特に茶道具、煎茶器の名品を輩出し続けてきた。


 

 

 

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