掛軸と茶道具の卸店、ひなや福寿堂です。

  

 

絵29 野田九浦 桃太郎 三幅対 ¥220.000.- 絹本 共箱
掛軸寸法 54.5×189cm 本紙寸法 40×109cm
明治から昭和初期にかけての 日本画の黄金期にあっての 大いに活躍した 作家の一人であります。
一寸 図柄が 古くさいかもしれませんが でも ご紹介申しあげます。
左幅は 鬼さんが 改心して 桃太郎たちを 見送っているところ、中には泣いている鬼さんもいます。
中幅は 桃太郎と 御馴染み犬、猿、雉が 宝物を 船にのせて 帰ってくる場面です。
右幅は お爺さんとお婆さんが 「やれ 桃太郎たちが帰ってきたよ。」と出迎えています。かたわらに梅の花が咲いています。

最近の子供は 昔話を知らないそうですが それではいかんと 久しぶりにこういう掛物を出してみました。
ところで これを 待合に掛けましたら 本席は どうしたものでしょうかねえ?

表具は改装済み。経年のための変色、汚れあります。
中幅 真中より下右に 水のシミあとあります。
全体の状態としては 良好です。

表装
一文字 唐草文本金襴
中廻し 花喰鳥文本金襴 
天地 新遠州
軸先 頭切 新牙
箱 桐 共箱 紙タトウ

■略歴:野田九浦(1880-1971)のだ・きゅうほ
1880年 東京都出身
1947年 日本芸術院会員

 明治12年−昭和46年 (1879-1971)
 

 東京府下谷区(現:東京都台東区)に生まれる。明治29年(1896)東京美術学校日本画科に入学するが、明治31年(1898)に退学し、白馬会研究所で黒田清輝に洋画を学ぶ。また渡欧をめざしフランス語を習い、正岡子規に俳句を学んだ。明治40年(1907)、夏目漱石の「坑夫」などの挿絵を描くために大阪朝日新聞社(北区中之島3丁目)へ入社し、鶴の茶屋の敷地内(現:北区茶屋町)に住んでいた。大正元年(1912)、北野恒富(きたの つねとみ)と大正美術会を結成、大阪画壇の隆盛に尽くした。昭和46年(1971)、東京都武蔵野市で死去。

 

■主な収蔵美術館
東京国立近代美術館
北海道立近代美術館
北海道立函館美術館
東京都現代美術館
石川県立美術館
飯田市美術博物館
佐久市立近代美術館
松本市立美術館

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