絵62 菅楯彦 涼夜 12万円 共箱(二重箱)
掛軸寸法38.5×111cm
本紙寸法24×26.5cm

本紙は 紙本。 色紙。
小品て 姿良し。
絵は 楯彦 さん。

橋のたもとに 物売りが出ています。
甘酒売りでしょうか?
全体に 夏の夜の風情が 見事に描かれています。

俳句は 川風の 人を くぐるや 夕涼み 寥太 。
江戸時代の俳人 大島 蓼太の 俳句。
これまた 良い俳句です。

表具は 裂表具。

状態 良好です。
楯彦さんの いい雰囲気の 作品です。
強く おススメ申しあげます。


大島 蓼太(おおしま りょうた、享保3年(1718年) - 天明7年9月7日(1787年10月17日))は、江戸時代の俳人。本姓は吉川。諱は陽喬、通称は平助、雅号は雪中庵、里席、宜来、老鳥、豊来、空摩など多数。与謝蕪村、加舎白雄などと共に中興五傑の一人。
信濃国伊那郡本郷村(現長野県上伊那郡飯島町)生まれ。幼時に一家で江戸に出て、幕府の御用縫物師を務めた。
元文5年(1740年)雪中庵二世桜井吏登の門人となり俳諧を学ぶ。松尾芭蕉追慕の念から、寛保2年(1742年)『奥の細道』を吟行するため奥羽行脚に旅立ち、その翌年、郷里の飯島に立ち寄り、与田切川の河畔に現地の門人らと「雪塚」を建立した。
延享4年(1747年)雪中庵を継承し三世となる。芭蕉への回帰を唱えてその研究と顕彰に努め、三千余人の門人を有した。また江戸座宗匠の旧態を批判し、一大勢力を築いた。
没後は深川の要津寺に葬られた。