掛軸と茶道具の卸店、ひなや福寿堂です。

 


茶器4 10代 中村宗哲 大徳寺形 茶器 35万円 共箱
      惺斎 在判 箱書
      大徳寺 松雲老師 在判 也風流。
胴径6,7cm 高さ8cm 蓋の径6,5cm

とても 渋い 茶器です。

この茶器には 三人の 風流人が かかわっています。

10代 中村宗哲 と 惺斎宗匠 と 大徳寺 松雲老師 の三人です。

この三人の 在世期間から 類推しますと
この茶器が できたのは おそらく 明治40年前後 ではと想像します。
今から ざっと 120年ほど前になります。

では 箱書、書付を みながら 簡単に ご説明申しあげます。

中村宗哲の箱書は 箱の底に あります。
茶器そのものには ありません。
10代 中村宗哲 は 尼宗哲として 有名で 惺斎さんとは 特に深い縁が ありました。


惺斎宗匠の 花押は 底に朱であり、箱書は 箱蓋の裏に


       
大徳寺形 茶器
山門古材ヲ以テ作之 左
庚申 一百ノ内。


ここにある 庚申 は  大正9年  ― 1920年。
で この年には
サザエさんの 作者 長谷川町子さんが 生まれています。
(いらぬことを 申して すみません。)

次に 茶器の蓋裏に 大徳寺の松雲老師の 見事な 在判です。

                  
朱漆で 也風流 紫ノ 花押。

良いですねぇ。 風流なり。 とは 、、、 ホントニ 風流ですね。

ということで 箱書のご説明はこれにて 次は 状態について、、、

山門古材ヲ以テ作った とあります。
おそらく 大徳寺の山門でしょう。
だから 松雲老師が 銘されている のでしょう。

この 大徳寺形 茶器 は おそらく 薬器
ロクロで 太く大まかな 刳りを 入れています。
だから とても 持ちやすいです。
松ノ木に 拭き漆仕上げ 木目は ハッキリ みえます。

見込は 黒の無地。綺麗です。
刳りはなくて 面一。

表側も とても 綺麗ですので 状態 非常に 良好です。

こういう 古いものが こうして 残ってくれるのは 嬉しいですね。

感想
落ち着いた 静かな 佇まいで
古臭さを 感じません。
保存が 良かった せいかも しれません。

格安にて 強く おススメ申しあげます。


十代 中村 宗哲
[名] 真子 [号] 宗哲 [俗称] 尼宗哲
[生没年] 文久二年(1862年) ― 大正十五年(1926年) 二月十四日
[享 年] 六十五歳

惺斎
茶道表千家十二世。十一世碌々斎の長男。幼名は与太郎、名は宗員のち宗佐。号は惺斎・敬翁。
明治三九年に失火焼失した不審庵を再興、松風楼を増築した。好みの茶道具は歴代中最多で、十職以外の工芸家や各地方の国焼の育成にも尽力する。
昭和12年(1937)歿、75才。

松雲さん 大徳寺486世 宗般玄芳 (そうはんげんぽう)−(〜1922) 75才。 (松雲室・紫竹道人)。 熊本見性寺・八幡円福寺。 俗姓:奧田

 

 

十代 中村 宗哲
[名] 真子 [号] 宗哲 [俗称] 尼宗哲
[生没年] 文久二年(1862年) ― 大正十五年(1926年) 二月十四日
[享 年] 六十五歳

▼ 事績 ▼
母を五歳で亡くした後、学を好む先代『[父]中村家八代/中村宗哲(1828-1884)』の指針で開校間もない「上京廿組小学校」へ九歳で入学、十四歳で卒業し、当時婦人参政論の先駆者であった『[の女権拡張運動家]岸田湘煙(1864-1901)』の塾へ入る。

十六歳で京都府立最初の女学校女紅場一期生として入学。
二十歳で京都府立女学校女札・裁縫科を卒業。

女紅科修行中に養蚕製糸し織り上げた絹を裁縫した單袴を『京都府博覧会』に出品し【褒章】を受ける。
明治十五年(1882年)から五年間『小川小学校』の【準訓導】として勤務。
また自宅で裁縫の教授をし、千家宗匠方の着物十徳などを縫い苦境の家業を支えた。

この間に『[父]中村家八代/中村宗哲(1828-1884)』を亡くし、翌明治十八年(1885年)に同じく小学校訓導であった『松崎喜三郎』を『[夫]中村家九代/中村宗哲(1856-1911)』として迎え三男四女を生む。

五十歳で先代『[夫]中村家九代/中村宗哲(1856-1911)』を亡くし、跡目相続の長男『[長男]中村哲太郎(生没享年不詳)』も退き別居した後、十五歳の次男『忠蔵(のちの『[次男]中村家十一代/中村宗哲(1899-1993)』)』を亡き先々代『[父]中村家八代/中村宗哲(1828-1884)』の弟子の元で修行させる。

『表千家十二代/惺斎敬翁宗左(1863-1937)』から【尼塗り】として勤めるようにとお力添えもあり家業に精励。

―[備考]
『表千家十二代/惺斎敬翁宗左(1863-1937)』は茶の静かで高潔な意匠をご教示され、それに叶う意匠をと製作を心がける。
茶道隆盛の流れもあり『表千家十二代/惺斎敬翁宗左(1863-1937)』の「御好物」百八十種を制作。

時代はは大正の盛期に入り、製作は次男『忠蔵(のちの『[次男]中村家十一代/中村宗哲(1899-1993)』)』と職人衆があたる。

また大正八年(1919年)には明治維新の『[父]中村家八代/中村宗哲(1828-1884)』の頃に立ち退きを余儀なくされていた旧地旧宅に復す。

その後、大正十四年(1925年)には次男『忠蔵(のちの『[次男]中村家十一代/中村宗哲(1899-1993)』)』の成長にともない【中村家】の家督を譲る。



▼ 代表作 ▼
『表千家十二代/惺斎敬翁宗左(1863-1937)』の【御好物】の作品をが多く

茶器は
・大棗
・中棗
・平棗
・吹雪
・金林寺
・飯器型など
「塗」「手法」「モチーフ」に変化をもたらせたもの約五十八種があり
他に
・夕顔大棗百個
・近江八景棗など
その種類は多く多作である。

「棗」以外の道具を見ると
・香合=二十七種
・水指=「エゾ絵」「野菊黒絵広口」など十種。
・棚物=「青漆爪紅四方棚」など五種。
・炉縁=「ミル貝紅溜塗」など八種など
その数は七十六種に及ぶ。

また他の道具には
・雛用柳桜懐石家具一式
・家具=二十四種
・菓子器類=二十種など
繊細な意匠の作を家元や数寄者に納品された。
 

 

 

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