掛軸と茶道具の卸店、ひなや福寿堂です。

 

茶杓5 土岐二三 竹茶杓 老楽の、、、 共筒 45万円
       竹翆紹智 箱書
櫂先丸形 丸撓め 蟻腰 切止4刀 古竹 長さ19cm

土岐二三は 江戸前期の 有名な 侘び茶人。

土岐二三 とき-じさん
江戸前・中期の茶人・武士。越後生。初姓は土肥。名は豊隆、通称は孫兵衛・自在軒。
三河吉田藩牧野備後守成貞に仕えた。織田貞置に有楽流を学び、香・花・琵琶を能くした。
のち京都岡崎に隠棲し、近衛家熙・鷹司輔信の知遇を受ける。享保17年(1732)歿、94才。

茶器など 数々の 物を 作っていますが 茶杓は 数少ないです。

 

筒は 共筒で 歌銘があります。

老楽の 自結ぶ 一節は 世に阿る人の 忘かたみに 二三 花押。

胸に迫るような 歌です。 年寄りには ぐっときます。

 

杓は 美竹で 深みあり。

節は 上から 四部ほどにあって 安定感あり。

節から 櫂先にかけて二本の樋がある。

節そのものは 複雑な形で 節の真下から 刀が 入って 絶妙。

節か手元にかけて 向かって左側に 6刀の ハツリ が 順にある。

これは 杓としては 珍重、珍重 類稀である。

蟻腰は 極端に 高い。

筒は 行。 底に僅か ヒビ あり。

 

以上、簡単に ご説明申し上げましたが 画像を よくご覧ください。

とにかく 土岐二三 の 大傑作です。

 

箱書は

十代 休々斎竹翠紹智 (1840〜1917)

福田氏、名は宗添、もと加賀大聖寺藩の御典医で茶堂でもあった。宝林斎の急逝にあたり藪内家に後見人として迎えられ、休々斎竹翠と号した。宝林斎の遺児、常弥(のちの十一代透月斎)、乙弥(のちの節庵)を養育し、専ら家にあって稽古に熱中した。  明治11年12月1日、初めて北野天満宮神前で公開の献茶をすることになった。休々斎は雅楽の音に合わせて献茶を行い、その点前を規定した。以来北野天満宮の献茶は藪内家と、三千家の輪番制となり今日に至っている。休々斎は晩年大阪吹田に隠棲し、福田姓に復している。大正6年没。78歳。

外箱の底に 小判印あり。 指物師の 印か?

 

ヒビあり。↑

 

 

茶杓の真行草 (しんぎょうそう) 

真 … 象牙または竹の節無し
     筒は皮目を残さず削り落としたもの

行 … 竹の節止め、下の方に節を残した形
     木地の茶杓がこれに相当するでしょう
     筒は上下の皮を削り綺麗に残したもの

草 … 竹の中節
     筒は皮を残し不揃いに削ったもの
 

土岐二三 とき-じさん
江戸前・中期の茶人・武士。越後生。初姓は土肥。名は豊隆、通称は孫兵衛・自在軒。
三河吉田藩牧野備後守成貞に仕えた。織田貞置に有楽流を学び、香・花・琵琶を能くした。
のち京都岡崎に隠棲し、近衛家熙・鷹司輔信の知遇を受ける。享保17年(1732)歿、94才。

 

十代 休々斎竹翠紹智 (1840〜1917)
福田氏、名は宗添、もと加賀大聖寺藩の御典医で茶堂でもあった。
宝林斎の急逝にあたり藪内家に後見人として迎えられ、休々斎竹翠と号した。
宝林斎の遺児、常弥(のちの十一代透月斎)、乙弥(のちの節庵)を養育し、専ら家にあって稽古に熱中した。
  明治11年12月1日、初めて北野天満宮神前で公開の献茶をすることになった。
休々斎は雅楽の音に合わせて献茶を行い、その点前を規定した。
以来北野天満宮の献茶は藪内家と、三千家の輪番制となり今日に至っている。
休々斎は晩年大阪吹田に隠棲し、福田姓に復している。大正6年没。78歳。

 

以下は 参考画像です。
 

 

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