書43 澤庵 消息 養蔵坊宛 庭前の花、、、 55万円
六代 古筆了音 極め札
立花大亀 箱書
掛軸寸法52×115cm
本紙寸法49.5×28cm
本紙は 紙本。 民芸紙。
横 物にて 姿良し。
書は 澤庵和尚 。
手紙で 養蔵坊宛 庭前の花、、、 。
内容は 以下です。
尚々書き で 歌を2首 書いています。 どうも 添削を しているようです。
花(おそらく 萩です。)を 貰って喜んでいることと
久しぶりに 合いたい 今宵かならず 御待ちします。
という 沢庵さんの せつなる気持ちが よく 伝わってきます。
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養蔵坊 と言う人は 人物特定できませんが よほど 親しい人のようです。
そして 沢庵さんが 大阪堺の南宗寺に 居た時に 出した 手紙です。
状態 良好です。
貴重品にて 強く おススメ申しあげます。
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養蔵坊 と言う人は 人物特定できませんが よほど 親しい人のようです。
そして 沢庵さんが 大阪堺の南宗寺に 居た時に 出した 手紙です。
古筆了音 こひつ-りょうおん
1674−1725 江戸時代前期-中期の古筆鑑定家。
延宝2年生まれ。古筆了a(りょうみん)の次男。父のあとをつぎ,古筆宗家6代となった。享保(きょうほう)10年6月22日死去。52歳。姓は平沢。名は最博。
折れあり。
表具は 裂表具。
一文字 本金竹屋町
中廻し 荒磯文 どんす
天地 紬
軸先 撥 朱塗
箱 桐
沢庵 宗彭(たくあん そうほう、澤庵 宗彭、天正元年12月1日(1573年12月24日) -
正保2年12月11日(1646年1月27日)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての臨済宗の僧。大徳寺住持。諡は普光国師(300年忌にあたる昭和19年(1944年)に宣下)。号に東海・暮翁など。
但馬国出石(現兵庫県豊岡市)の生まれ。紫衣事件で出羽国に流罪となり、その後赦されて江戸に萬松山東海寺を開いた。書画・詩文に通じ、茶の湯(茶道)にも親しみ、また多くの墨跡を残している。一般的に沢庵漬けの考案者と言われているが、これについては諸説ある(同項目を参照のこと)。
大徳寺出世入院と隠棲[編集]
慶長12年(1607年)、沢庵は大徳寺首座となり、大徳寺塔中徳禅寺に住むとともに南宗寺にも住持した。慶長14年(1609年)、37歳で大徳寺の第154世住持に出世したが、名利を求めない沢庵は3日で大徳寺を去り、堺へ戻った。元和6年(1620年)、郷里出石に帰り、出石藩主・小出吉英が再興した宗鏡寺に庵を結び、これを投淵軒と名づけて、隠棲の生活に入った。
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