2-35 阪 正臣 寒牡丹 3万円 合せ箱
掛軸寸法(幅)46×(縦)197cm
本紙寸法(幅)33,5×(縦)121cm
本紙は 絹本。
絵絹に日本絵の具を 塗って その上に金砂子を振った物。
絵だけではなく 色んな図柄を描くことも多い。
いわゆる 料紙の 一種である。
極めて斬新な 掛物となっています。
そして 仮名の書は 阪 正臣。
習字、書道の時間というのが 昔は あったんですが
その頃のお手本には 阪 正臣の書が 使われておりました。
正臣の書風というのは 例えば 崩し字は 読めないのはダメ、
誰でも読める事が第一ということを 提唱したそうです。
だから 阪 正臣の書は簡潔で 読みやすいです。
その書を お手本にしたというのは 好選択で 日本国民にとっては ラッキーでした。
それが 今現在にまで 繋がっています。 ヨカッタ、
だから 読みやすいです。
(とはいうものの 阪 正臣の諸作品は やっぱり難しい、 トホホほほ・・・・・)
ということで ここに敢えて ご紹介申し上げます。
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阪正臣(号:茅田ぼうでん・樅屋もみのや1855〜1931)は、名古屋出身の歌人・書家です。幼い頃より和歌や書に親しみ、神職や華族女学校の教員を勤めるかたわら才能を認められ、宮内庁内で和歌に関する事務を扱う部署、御歌所(おうたどころ)に入所します。以降、歌人として和歌の教育普及に携わりながら、書家としても活動しました。 息子の阪匡身は、父の遺稿を整理して『樅屋全集』を編纂した[2]。匡身は、海軍少将の時に戦艦扶桑の艦長を務め、1944年10月25日、レイテ沖海戦のスリガオ海峡の戦いで、扶桑が米艦隊に撃沈された際に死亡した。戦死後、海軍中将に任じられた。 |
寒牡丹 ふる雪の 白きにはえて 紅の 色深み草 冬さかりなり 正臣。
最後の二文字は 正臣。
表具は 緞子装。
軸先は 焼物。
箱は桐。
状態 良好です。