茶道具9 釜 風炉 炉縁)

TOP 茶碗 1   3 香合 4 なつめ 茶器 5 水指・蓋置
6 菓子器  花入 7 皆具 茶箱 8 茶杓 ふくさ 9 釜 風炉 炉縁 10 棚 先 板
11 茶事の道具 器 12 その他 13 官休庵の道具 14 ひなやの茶事 一行もの 待合掛

 

 

釜師の 名越弥五郎で ゴザンス。
切合セにも 色々ゴゼェヤス。 ご注文 オネゲェ モーシヤス。

角谷系 (人間国宝) 角谷一圭  他 ↓

撮影現場の 畳は 本間(95cm)です。

 
釜23 (人間国宝)角谷一圭 松の図 肩衝切合セ 風炉釜 80万円 共箱
      日刀保たゝら 和銑 
全体の 最大径31cm 高さ34,5cm(小板を含む。

 


釜9(人間国宝)角谷一圭 浜松図 肩衝釜 45万円 共箱 出雲たゝら 和銑 (風炉用)


釜59 角谷一圭 松喰鶴地紋 真形釜 25万円 共箱 風炉釜。
 

釜77 人間国宝 角谷一圭 肩衡 線ノ釜 33万円 共箱 鵬雲斎 箱書

 

k22(人間国宝)角谷一圭 即中斉 独楽ツナギ文 肩衝釜 28万円 共箱

k24 角谷一圭(人間国宝) 浜松地紋 真形釜 芦屋写 20万円 共箱

k61 角谷興斉 鵬雲斎好 鶴雲釜  炉用 30万円 共箱  鵬雲斎 在判 箱書

 


釜47 (人間国宝)角谷一圭 相生松地紋 真形釜 25万円 共箱
      風炉用 有隣斎 箱書
 

k78 角谷与斉 淡々斎好 春秋釜 30万円 共箱
     鵬雲斎 箱書


釜53 人間国宝 角谷一圭 海老地紋 真形釜 22万円 共箱 風炉用

 

釜4 (人間国宝)角谷一圭 菊 萬代屋釜 炉用 25万円 共箱

釜3 角谷一圭 芦鷺地紋 肩衝釜 炉釜 30万円 共箱

 

角谷 一圭
(かくたに・いっけい、1904年(明治37年)10月12日 - 1999年(平成11年)1月14日)は、釜師。
本名辰治郎[1]。茶の湯釜の重要無形文化財保持者(人間国宝)。大阪市生まれ。


日刀保たたら
「日刀保たたら」は、公益財団法人日本美術刀剣保存協会が直接に運営するたたらであり、本協会の略称を冠して、「日刀保たたら」と呼称しています。
「たたら」とは、砂鉄と木炭をもとに、純度の高い鉄類を生産する日本古来の重要な製鉄法です。生産品の中で特に優れた鋼(はがね)を「玉鋼(たまはがね)」といい、日本刀の原材料として欠くことのできないものです。

たたらの歴史
たたら製鉄は、江戸時代、山陰地域で大いに栄えました。この我が国独特の製鉄技術は、大正期に廃絶し、戦前「日本刀鍛錬会」のもと、「靖国たたら」として復活します。しかし戦争の終結とともに、操業は途絶えてしまいました。
しかし、当協会は島根県仁多郡奥出雲町の「靖国たたら」跡地を昭和51年6月24日「日刀保たたら」として復元し、昭和52年11月8日に、高松宮殿下の御臨席のもと火入式を行い、正式に復活させました。

和銑(わずく)
鉄に和銑(わずく)と洋銑(ようずく)の二種類があります。
和銑は日本古来の砂鉄を炭で精錬した釜や工芸品に使われてきた地金です。砂鉄地金
材料の入手が難しく熟練の経験と技術を要し生産性が低いのが問題。
それに対し幕末に輸入された洋銑は、鉄鉱石を石炭等で大量生産出来る鉄でした。鉄鉱石地金
高い生産性に加え切削・塑性のしやすさで大きく変わることになりました。
しかし洋銑で製作した釜は錆びが出易いのである。
表面加工と内側の錆び止めでなんとか使用には耐えますが和銑の鉄味には勝てません。
釜の値段は原料の差と言っても過言ではありません。

 

大西系 ↓

k108 十五代 大西清右衛門 梅竹 真ノ釜 
     即中斉 箱書 65万円 共箱

k21 十四代 大西清右衛門 青海波地紋 唐銅面取風炉
    
45万円 共箱 淡々斎 箱書

 

k44 浄味 霰釜(風炉用) 22万円
    十四代 大西清右衛門 極め

 


釜5 十四代 大西清右衛門 惺斎好 濡烏釜 55万円 共箱
   即中斉 在判 箱書 風炉用

釜15 浄味造 唐銅撫肩 切合小風炉釜添 共箱 淡々斎 箱書 十四代大西清右衛門 極め状

 

 

 

k25 天猫 繰口釜 鬼面鐶付 12万円 共箱 風炉用
    十五代 大西清右衛門 極め箱

k36 古天明作 手取釜 大西浄長 極め箱 25万円 デッカイですよ。

k55 十三代  大西浄典造 万代屋釜 15万円 共箱 風炉用
     十三代 宮崎寒雉 極め箱
胴径24cm 高さ21.5cm

k40 鉄祭礼図眉無風鑪 茶之湯釜全集10 長野垤志編 所載 

 

付属品 ↓

k64 金谷五郎三郎 釜鎖  2万円 共箱

k14 角谷與斉 利久形 木瓜釣 4万円 共箱

 

k16 元禄年時代 古浄味作 象眼入鉄木瓜釣
 大西浄長 極め箱 6万円

 

t48 一后一兆 瓢箪蒔絵 炭斗筥  40万円 共箱
口は24cm四方 底は19,5cm四方 全体の高さ27,5cm

 

 

炉縁 ↓

ka42 桑 炉縁 宗完 在判 箱書 35,000円 共板

k60 塗師 表阿彌造 菊桐蒔絵 黒炉縁 18万円 共箱 淡々斎 在判 箱書

k66 平安 満樹 唐松蒔絵 炉縁 14万円 共箱 12代久田宗也(尋牛斎) 在判 箱書

 


ka43 三好木屑 焼杉 炉縁 愈好斎 22万円 共箱 愈好斎 在判 箱書

k11 一瓢斎 菊桐マキエ 朱 炉縁 35万円 共箱 而妙斎 在判 箱書

k67 村田宗覚 柳蒔絵炉縁 12万円 共箱
    12代久田宗也(尋牛斎)在判 箱書

 

釜の 取り扱いについて お願い申しあげます。
(釈迦に説法とは 思いますが お許し下さい。)
・ 少なくとも 年に1、二度は 使って下さい。
・ 使わないときは 風とおしの 良いところで 箱も釜も 干してください。
・ プチプチは 箱から 出して その代わりに 新しい新聞を 入れてください。
以上 よろしく お願い申しあげます。

 

釜の 鑑定と 天明 と 天命 と 天猫 の違いについて 

当店の 考え方 判断基準について 申し上げます。
まず ずうっと 下の説明を お読み頂いたうえ ご理解くださいますように
お願い申しあげます。


それでは

まず 箱書に ある文字によって 判断いたします。
ひなや福寿堂が 勝手に 判断しておりません。
それぞれに 極めが ありますが それに準拠して 表示します。

産地、時代については 特定いたしません。
理由は 特定不可能だからです。
ただ 専門家には できるようです。
私の経験ですが 2,3の釜師に 意見を請うたことが あるのですが
何方も 同意見でした。いつも そうでした。
これには 驚きました。

やはり プロですね。
そういう訳で 私見は いれません。
では どういう基準で 扱っているかといいますと

極めに 真びょう性が あること と
箱書と釜が 入れ替わって いない事 と
自分の 気に入った釜 であること
の 3点で ございます。


以上を ご理解賜りますよう お願い申しあげます。

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資料。

天命釜(てんみょうがま)とは、
下野国佐野庄天命(栃木県佐野市犬伏町)で作られた茶湯釜の総称です。
天命釜は、「天明」、「天猫」とも書きます。
古くは天命といいましたが、寛永十年(1633)井伊掃部頭が領したときに
天命と小屋の二字を合して天明村としたと伝えられ、
天猫は利休が洒落てつけたといわれます。

天命釜は、小田原でも天命風の釜が作られ古くから天猫と呼ばれましたが、
天命よりは時代が下り、
作風も雑器風のものが多いようです。

『茶湯古事談』に「天明釜ハ上町国佐野の天明の釜師か鋳しをいゑり、天猫とも書ぬ、
世に関東釜ともいふ、古き釜の名物ハ多くハ芦屋・天明の釜なりとなん」

とあります。
『釜師由緒』に
「天明は阪東治工上手作也。是祖也。又佐野天明、
小田原天猫は二代目より有之。
天猫文字或は天命と云、小堀遠州公御改名と云う、
古書に天明と書く方よしと依而我家の證文に右之文字書く也」

とあります。

『茶道筌蹄』に
「天猫 小田原 河内 天猫は茶かま師にあらす」とあります。

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ご注文,お問合せは 0798-26-2553  へ お願いします。 

 

 

釜と釜鐶の話

お茶会は 釜を懸けるという程で 釜はとりわけ大事です。
でも 釜鐶というのは も一つ 解りにくいものですね。
そこで お若い方の為に 説明します。

昔のことですが、
お湯というのは 大変なご馳走だったんです。  寒い時なら どれほど 嬉しいでしょうか。  メガネが 曇るような 温もりは ホッとします。  とりわけ 沸騰させれば 米も 炊けますし、黴菌も殺せます。
その 万能の釜を いらうのは 釻という 丸い取っ手が 必要です。
かんは 
 とか  という字です。
この釜鐶が ないと 触ったらヤケドをします。
だから 釜と釜鐶は 一対のもので 仲良しなんです。

それが 茶の湯という 特別な 空間の中では いっちょまえの コンビになります。
釜さんと 釜鐶さんを コーディネートしたいもんだ、  と考えるわけです。
中々の感性ですよね。
この釜には ウン! この釜鐶が バッチリだ と いうわけです。
只、その両者のものが 同じ作家のもの というのは 悪くはないのですが やはり 面白くないですね。 間違いとも いえないのですが。

それと 大寄せの 茶会では 釜鐶は 表に出ません。  茶事で 炭点前をして 始めて 席に現れます。
だから 釜鐶さんは 損のしっぱなしなんです。

まぁ、
そんな訳で 
皆さんの お持ちになっている お釜に 合う釻を 見つけてあげて下さいね。
もっと 他に色々あるんですが
今日は これぐらいで 続きは 機会をみて 更新しますから 又、見て下さい。

続き H21-7-1
割鐶(わりかん)
というんですが 釜鐶の一つで、円形の鐶一個を縦二つに割って一対にしたものです。相生鐶(あいおいかん)ともいいます。 こいうのもあります。だんだん 難しくなって、、、 辛抱してくださいね。

よりみち、、、 突然ですが 鉄に話をかえます。
和銃(わずく)
砂鉄を原料とする日本古来の銑鉄。酸化被膜が特殊なために、一定の状態まで錆びるとそれ以上は錆びず、表面に美しい光沢がでる。和銑釜は200年から500年くらいの使用に耐える。
これを 
一圭さんが 復元したんですよ。
和銃(わずく) に対して
洋銑(ようずく)というのが あります。それは 何かといいますと。
洋銑(ようずく)
明治時代にヨーロッパから輸入された銑鉄をいう。鉄の分子構造が顆粒状結晶でやわらかいために二次加工にすぐれているが、錆には弱くて地金に穴があくので、耐用年数は50〜60年が限度。


ひなや福寿堂 61老人拝。

 

お問合せは、ひなや福寿堂 TEL.FAX 0798−26−2553 へお願いします。

TOP 茶碗 1   3 香合 4 なつめ 茶器 5 水指・蓋置
6 菓子器  花入 7 皆具 茶箱 8 茶杓 ふくさ 9 釜 風炉 炉縁 10 棚 先 板
11 茶事の道具 器 12 その他 13 官休庵の道具 14 ひなやの茶事 一行もの 待合掛

 

釜彦のはなし
釜彦は大阪の東区に あったといいます。今はありません。当時の大阪は文化の中心でした。夏祭りといえば 天神祭。この時には大阪天満宮の近くでは、茶道具商や 釜彦のような職人の家、大小の商家で お祭りの釜をかけて 来る人こばまずで 茶を振舞ったそうです。大徳寺の立花大亀さんは、この時の思い出を 何かの雑誌に 寄稿されてましたが あちこちの席を回るのが楽しみで、ついつい時を忘れ 京都へ帰れなくなった、というような事を、回想されていました。黒田宗光さんも、若い時の思い出として、天神祭りになると 釜彦さんの祭りの茶席へ行き、それから、どこどこへ回ってと それは忙しかったことを 淡交の取材に お話になっていました。毎年、夏がきて、天神祭がはじまり、夜空に花火があがりますと お二人の話を思い出します。今も大亀さんは 雑踏の中を 汗を拭き々々 祭茶の趣向を楽しみに 歩き廻って お出でになるかな、などと想像をします 。

 拙事ながら 私は 大阪生まれの 大阪育ちです。 大阪は 故郷です。 
でも 今の 大阪には その よすがも ありません。
日本国中 全部 そうなんですがね、、、まあ そんなこと いっていても 始まりませんね。